東電の対応
昨晩また、震度5の地震である。結局余震も続き、眠れないまま朝になった。家の中は落下したようなものはない。災害に対する日頃の備えという意味では、不十分なものであろうが、その時々の配慮だけでも効果はある。我が家に居れば、買い物に行かなくとも大丈夫である。保存食を食べなくとも、普段と同じように暮らせば大丈夫である。やはり自給生活である。近所で野菜の販売所をやられている方が、集まりの際、畑をやってれば大丈夫だ。種を畑に蒔こう。こう言われていた。その通りである。こういう時には、昔の暮らしの良さを思い起こす事も大切である。それにしても想定できなかった悔しさはある。兄が住んでいた、宮古の高い堤防がまさか津波が越えるとは。怖ろしいものである。このようなことが起こると、仕分けでいらないとされた、スーパー堤防のことが思い起こされる。今なら必要と仕分けられるだろうか。
今一番の緊急事態は、原子力発電所の冷却である。東京電力がこの事故に対して、対応を失敗している。事故に備えた準備もずさんなものであったことが徐々に分かってきた。一番は津波への対応が無かったことである。福島第一原子力発電所では、地震に伴い自動停止は出来た。しかし、引き続き起きた巨大津波で、冷却機能がすべて失われた。誰にでもわかる肝心なことが抜けていた。原発を運転する以上、不可欠な用心が出来ていなかった。海側ギリギリに燃料タンクがあって、津波ですべてが無くなった。電気が来ない場合の非常用電力をどう確保する位、当たり前のことであろう。その緊急用発電機の燃料が失われる。当たり前に想定すべき要素だ。水素爆発が問題無いとしていた4号炉まで起きた。予測できない技術者の愚かさが、我慢できない。今まで万全であると言ってきたことが、いかに甘いものであったかが分かる。緊急に原発の廃止に向けて、動き出すべきだ。
原子力発電所の防災機能が次々と崩壊し、世界中の人間に不安を与えている。この事態の重みは「想定していた事態を越える天災が起きた」という解釈で済ませるものではない。東京電力という組織に、人類の生命を預けてきたこと自体が、大失敗であった。そもそも、日本人の劣化ということは、あらゆる場面で感じる訳だ。世界は日本人の能力低下に気付いたことであろう。世界の世論が、今後日本に原発を許さないだろう。原発を強行すれば、北朝鮮と同じ世界の孤児に成る。今緊急対応しているさなかに、批判をしていても仕方がないが、怒りで気持ちがおさまらない。自分の責任ではない。悪いのは大津波だ。マニュアルから一歩も出ることが出来ない。大地震を受け、巨大津波を受けた当初の原子力発電所の状況判断が、少しも出来ていなかったということである。
30%の緊急節電をしよう。温水便座を止めれば、原発1基が不要になる。待機電力という悪しき習慣を無くそう。鉄道の電力分は節約できると言っていた。関東ではもう暖房は我慢しよう。3月半ばで暖房は我慢できるはずだ。早寝早起きである。幸いこれから3カ月は電力の節約のできる時期である。東北の被災された方々のことを思えば、我慢できることである。問題は夏の電力ピークであろう。それまでに、できる限り節電できる暮らしに変えること。ソーラー発電の緊急補助をしたらどうだろう。この3カ月で、できる限りソーラー発電を補助をして設置を進める。公共施設には義務付ける。原発を止めざる得ないという前提で、すべてを見直すべきである。大きく言えば、都市に暮らすことを止める方向だろう。都市に暮らし、経済の空洞化地域に、地域経済の為と誘導して、危険な原発を作る。都市の人間の傲慢さこそ、問題ではないか。自然の循環に影響を与えない範囲で、人間の暮らしを滑り込ます。