小沢派離脱
いつまでも起訴しない弁護士はどうしているのかと思えば、やっと起訴をした。起訴することが決まっていたのだから、早くすればいいものを何を待っていたのだろう。ただでさえ長い裁判が問題になっているのに、弁護士が起訴を引き延ばしてどうする。これから市民の判断が試される。これで無罪になった場合。政治生命を絶った責任はどこの誰にあるのだろうか。梨下に管?を正さずか。小沢氏のやったことは嫌いである。だが、それが犯罪であるかは別である。他の政治家が何故小沢氏を責めることが出来るのか。似たようなものだ。自民党の石原氏は何と相変わらず、証人喚問の要求。間が抜けている。これから裁判をする人間に対し、検察も証拠不十分とする人間にをどのように喚問をするのだろう。今回は特殊例である。裁判を見守るべきである。
一方、管氏は矛先を小沢問題にしてしまおうと、やっきである。判決が出るまでの党員資格停止。報道の単純図式では、生贄さえあれば記事が書ける。世論も小沢氏に議員辞職を望んでいると主張する。どう考えても世論調査がおかしい。日本人はそこまで愚かとは考えられない。小沢氏の問題は政治資金の問題である。報道のやるべきことは政治資金に焦点を当てることである。こういう時なら、アピールできるのにやらない。政治にお金がかかるの根本を問い直す必要がある。現状では政治にではなく、選挙にお金がかかるということが中心ではないか。それなら選挙制度の方を見直したらどうか。人に考えを伝えるということは、インターネットの出来た現代様変わりである。お金など全く要らない。好きなだけ考えを発表出来る。チュニジアやエジプトの事例を見ればすぐわかる。政治にお金がかかるなら、その明細をインターネットで細部まで公表すべきである。
官房長官の枝野氏は、この問題を前例に鑑みて、党員資格の停止と言われていた。司法に携わった人間の発言とも思えない。前代未聞の事例である。いったいどこに前例を探したのだろう。ごまかしである。石川氏を前例としたとすれば、事情がまるで違う。検察の2度の不起訴の結果、素人が起訴すべきと判断した。まともな裁判が行われれば、証拠不十分無罪である。こういう場合、排除の論理を持ち出した方が負けである。今、いかに報道と民主党で、小沢氏排除をしたとしても、歴史は排除するような人間たちを、正当化することはない。小沢氏支持の議員が民主党の会派離脱をした。志良し。そういう議員を支持したい。選挙をやれば身にしみてわかるはずだ。近くある、地方選挙では、隠れ民主党を含め投票すべきでない。こんなことを通してしまえば、衆寓政治の時代が来る。気に入らない人間の抹殺方法が出来てしまう。気に入らなくても、折り合いをつける。ここが政治だ。
小沢氏の政治生命は検察審査会という、普通の人に断ち切られた。これは日本の司法制度の敗北である。普通の人の感覚では、小沢氏は金丸氏や田中角栄氏と同質の、金権政治家だから憎たらしいが根にありやしないか。報道による刷り込みが影響した。小沢氏はそういう人から学んだからこそ、塀の向こうに落ちない人と見ている。裁判の証拠主義とは別の要素が働いたのだと思う。もしこれが、共産党の委員長だったらどうなるだろう。あるいは創価学会の会長ならどうだろう。弾圧ということになるにちがいない。権力による誘導と見られるだろう。司法が健全であるためには、国民が司法を育てるという要素がある。権力の犯罪を一般の国民が制御するというのが、検察審査会の本来の役割である。例えば特捜が村木さんの事件のように犯罪を犯したが、身内の検察が不起訴にしたような時だ。政治家や宗教家の犯罪の場合、この手法は弾圧に利用される可能性がある。党員資格停止処分は民主党の知性の欠落を意味している。