小田原城址公園樹木伐採
先日、親戚の法事で柏の先の豊四季というところに行った。その席で「小田原では、お城の木を切るというので大変らしいね。」という話が出た。わざわざ心配だけどどうなっているのという電話まであった。最近街の方の話は聞こえないことにしている。すべてがちぐはぐで証文の出し遅れの気がするからだ。以前のホールの問題でも、結局話が蒸し返され、後になって覆った。奇妙奇天烈な市民ホールなど困るというのは、市民共通の思いだ。が、何故この案が出て了解されたとき、このことが問題にならなかったのか。後になって尻馬に乗って反対した市会議員の各位は、当時は何も気づかなかったでは情けない。今回の伐採の問題は、だいぶ前に決まったはずだ。樹木伐採についても、反対発言した議員は居たのだろうか。もう5,6年たつのではないか。それを今更というのが、堪らない。やたらに樹を切らないほうがいいのは当たり前のことである。とんでもない話だと主張したが、盛り上がらなかった当時のことを思い出す。市民が気がつかない問題を、取り上げ知らせるのが、市会議員の役割だろう。
今回のこともそうだ。いざ実行が始まってから問題化する。情けないことだ。だから、樹を切るうんぬんに問題が矮小化されてしまう。問題は「小田原城址公園」をどうするかだ。現状は城跡にある公園である。それなら街中の自然林の山だって悪くない。あの城を小田原城とは思いたくない。あれはレプリカでもない。私が思うに熱海城と同じ観光用の展望台である。あれを持って、世界規模の城下町サミットまで、企画したのだから驚くべき曲解だ。小田原城址を遺跡として保全するなら、まずあのお城ではだめだ。市民として誇りが持てない。城跡で象のウメ子さんが閉じ込められていたのだ。そういう場所なのだ。見上げて立派だとも思わない。恥ずかしい気分になる。1号線沿いにある、薬屋さんの天守閣と変わらない。真がいものは一番いけない。もし史跡だというなら、あの天守閣を壊してもらいたい。いつの日かレプリカを再建してもらいたい。
城址公園をどうして行くかについては、事が問題化する前に市民が決めるべきことだった。市民自治というのは、そういうことではないだろうか。樹木は切られることになっているのに、いままで黙っていたのだ。江戸末期の状態に近付けるということに決まっている。小田原城であっても、室町期の状態の方が、北条を尊重する気風からすれば、まっとうになる。聞くところによると縄文の遺跡の可能性もある。江戸末期の状態に戻す発想がどこから出たのか分からないが、何故お城だけそういう発想になるのだろうか。小田原は尊徳のでた町である。江戸時代の用水の再現、水車の再現、農家の再現。そして江戸時代の暮らしの再現。やるべきことは幾らでもある。そこまで全体を統一して行くというのならまだ分かる。宿場町としての小田原の再現という発想もある。そうしたことが、市民の間で十分に議論されるような、シンポジュームすら開かれたことはない。お城が観光資源として、価値があるという程度の事なら、熱海城と同じだ。私にはどうでもいい。
いずれにしても、市民の中からそうした動きが必要だったのは、もう10年も前のことになる。そうした市民参加が無いまま、議会でも十二分の議論が無いまま、すでに話が進むことになっている。ここに市民と市行政の協働の精神はかけらもない。お上任せにして置いて、事が行われる段になって文句だけは言う。これが厭だ。筋道から言っても、白紙撤回を求めるのはおかしい。国からの予算ももらい、公のお金で整備を行っている。市長は一市民の時代から、この反対の流れは充分に知っていたはずだ。しかし、市長になって樹木が切られるまで、手を打たないでいた。これは明らかに失敗である。沢山の市民を加えた検討委員会を作った。その中に城址公園の整備検討委員会を何故作らなかったのか。今の事態を見通せなかったからだろう。少々事なかれになってきたというのでなければいいが。