八ッ場ダム建設中止

   

民主党がマニュフェストに従い、八ッ場ダムの建設中止を進めている。国として、納税者としては当然の事だ。中山間地の不用な公共事業の代表がダムだ。長野県も田中康夫知事の脱ダム宣言で、一時評判だったが、結局住民は田中知事を嫌った。ここに日本の公共事業問題の縮図がある。「ダムを止めないでくれ。」と一部の住民がつよく反対している。この構図はどう考えても不自然ではないか。ふるさとを水没させないでくれと言うのが、かつての住民運動の普通の感覚である。「蜂の巣城」闘争を覚えているだろうか。1955年。子供の頃のダム反対運動の象徴である。子供心に蜂の巣城を応援した。ついに落城しダムは建設された。今、全国で起きているダム中止反対の原因は何か。

政府は八ッ場住民がダム反対を主張してきたなか、無理やりダム建設を説得強行した。住民は喜んで承諾したのではない。泣く泣く受け入れた。それを今になって、民主党政権になったからと言って、ダムは要らないので中止にします。では住民の翻弄されてきた生活はどうなるのだ。こんな憤りが背景に感じられる。もう一つに、中山間地の日本人の暮らしを崩壊させていいのか。こう言う怒りも感じられる。限界集落などと言う言葉が生れ、小さな山間地の暮らしは立ち行かなくなっている。今起きている日本の革命的方向の転換。普通に暮す人間の血が沢山流された結果だ。この10年で、30万人の自殺者である。この血は革命の代償。誤った国の方針の犠牲者と言えないか。国のダム推進教育がある。私が受けた教育では、「ダムと植林」は国家事業として取り組む正義の象徴であった。

ダムが正義だけではなく、環境破壊の原因にもなりかねない。こう言う視点は1970年代からの事だ。それまでの国の作るイメージ「共感の装置」明治政府が国家、国土と言う空間的統一イメージの形成に力を入れる。ここに水の管理。山林の管理と言う、日本国家と言う山紫水明の地の強調。特に戦時中の造林運動から国土建設。そして、戦後の「国土緑化運動」。なけなしの10円をだして、教室で緑の羽根をみんなが買った。1895年に既に学校林運動が起こっている。大日本山林会の設立。国土を守る造林と教育。緑化の背景にある国家意識の醸成。水を治める、国家事業。ダムは現代のピラミッド。あるいは古墳。この地域で言えば丹沢ダム。あるいは宮が瀬ダム。神奈川県の水道使用量は予測に反して減少している。そこに宮が瀬ダムの年間約60億円の受水費負担増。不用なダムをつくり、その費用の為に水道料金の値上げ。

ダム建設の必要性の検討。水力発電をしている訳でもない。水道使用量は減少して水は入らない。農業用水は改めて必要なわけもない。と成るともう一つ曖昧な治水機能に限定される。河川管理自体がおかしくなっている。コンクリートで3面全てを固め、ゲリラ豪雨のたびに河川事故が起きている。本来地域全体での環境的治水のあり方の検討が必要。豊かな山があり、平野に広がある田んぼ。全体で受け止めるべき治水。これを針葉樹の管理されない植林地帯。田んぼを分断するような、工業団地。住宅開発。その結果の治水が、ダム建設。川を自然から分断しての人工的管理。これが、公共事業の御旗。公共事業がなければ、生活ができない地方の状況。全てが本末転倒。先ず、中山間地の暮らしの再建。ここを政府は明確にする事が必要。ダムが作られることに望みを託さなければならない。これでは不時着地点は見つからない。

昨日の自給作業:収穫及び整理1時間 累計時間:11時間

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