有機農業研修施設
農業者は自分の子供に農業をやらせようとは思わない。10中8,9はそう考えている。一子相伝ではないが、先祖伝来の農地で、その作り具合の癖まで含めて、農業技術は自然に身体で覚えてゆくものであった。その仕組みが崩れてから、農業技術は改めて学ばなければならないものになった。そこで、体系化され科学的要素の大きい、西欧の農法が取り入れられた。それが教材として指導される農業教育は、伝統農法を育む方向には進まなかった。日本の国土のように、四季のくっきりした区分けがあり、水が豊かで、土壌が生きている地域はなかなかない。この豊かな環境に育まれた、日本独自に発達した日本伝統農法は、農業教育の中に取り入れられることなく、いつの間にか失われつつある。この江戸時代に発展した、工夫と総意に満ちた、伝統農法はまさに循環農業の手本でもある。その伝統農法に近代農法の成果を融合させる事が、日本の有機農業の技術であろう。
有機農業の研修施設は、際立って優れた農業者の下で幾例か行われている。それは、思想的なものであり、宗教的な性格を持つものが多いことになる。そうした指導者としての農業者は、大抵の場合、独力で、独特の農法を編み出し、大きな成果を生み出している。一種信仰的な信念に支えられる事で、作り出した農法である。農業は自然界と言う、巨大な受容力を持つものが相手であるため、どのようなものであれ、ある観点で統一されていれば、それなりの体系ができるものである。そのために、雨後の竹の子のごとく、究極的農法と言われるものが生み出されている。それはそれぞれにすばらしいものではあるが、どこにでも応用できるものでない可能性もある。農業はあくまで行う自然が相手のものである。福岡正信氏の自然農法を引き継ぐものが表れないごとくである。
本来何かを学ぶ為には、学ぶものが集まって、教師を招くと言う形がいい。教えたい者が、生徒を集めると言う形は良くない。今の学校の姿はこの点に限界がある。かつて、足柄地域には農家が集まり、教師を呼んではじまった農学校があった。1907年 足柄上郡農業補習学校として創立。この学校も農学校としての歴史は閉じようとしている。新しい農業が模索されるこの時代にこそ、未来を見据えた農業を学ぶ、研修施設が必要となっている。小田原では有機農業4団体があつまり、有機の里作り協議会が設立され活動をしている。ここには多様な有機農業の形が揃っている。有機農業者の総数は100名を超えている。これは全国1の組織ではないだろうか。もし、この組織で研修が行われる事になれば、自分たちも学ぶ所は大きい上に、次の有機農業者の育成には、またとない施設に成ると思われる。
営農的に成功を収めている、農業法人ジョイファーム。長い伝統のある、MOA自然農法。地元スーパーから始まった、報徳農場。自給的農業を目指す地場・旬・自給の「あしがら農の会」。それぞれの分野での技術レベルの高さは、全国的に見ても注目されるものがある。来年度の事業計画では、研修機関の設立を目指したい。と考えてきて、事務局の小野さんに相談した所、今の若い人は違うのではないかと、指摘を受けた。私が目指してきたものは、大根の具体的な作り方を伝えるのでなく、大根を見る目を、その育む自然を感じる力を育てる事が、大切だと思っていた。感じる目が育てば、後はそれぞれの人間が、それぞれの農法を編み出す。そう考えてきた。それではだめだというのだ。若者が求めているのは、大根を作るマニュアルだという。これにはショックがあった。まだ、ちょっと立ち直れないほどである。さてどう考えればいいのだろう。