石垣積み
棚田の石垣の直しをした。1枚が一反程度で3枚になっている田んぼだ。段差は高い所で150センチ。低い所で70センチと言う所だ。4箇所が壊れてきていて、積み直しをすることにした。色々、検討してみたがやはりここは専門家に、見てもらわないとちょっと無理だろうと言う事になった。こう言う時、誰に相談すればいいか、案外に難しいものだ。農の会の場合は顧問の穂田さんにいつも相談する。穂田さんは荻窪で農業をされている方だ。若い頃はアメリカにも農業研修に行ったりして、農業の将来を色々考えたそうだ。45年ぐらい前の事だと思う。結論として、農業でやってゆくのはこの先難しく成ると考えて、土木の請負仕事を独自に立ち上げる。その後、あらゆる土木作業をやられるが、特に農業土木と言うような、蜜柑畑をキュウイにするが。機械小屋を作る。養豚場をやるのだが。蜜柑小屋を作る。養鶏場を始めたいが。そうした地元の農家の方の相談に乗りながら。農家に則した工事の仕方を独自に作り出した。
畑は土の動かし方一つで、土壌の状態が大きく変わる。ここを配慮しながら工事をしてもらえると言うので、地元の農家の人からの信頼はきわめて厚い。そういう仕事をしてきた方なので、石垣積等お手の物だし、きわめて早い仕事だ。相談したら、これはユンボで押せばいい。と言う事だった。ついでだが、「この油圧シャベルをユンボと呼ぶのは、三菱の製品名である。」と言うのも穂田さんが教えてくれた。石垣の石は、隣の工事で、道路の脇にあったものを、壊して捨てに行くと言うのを、田んぼが近いので、2トンダンプで3台もらえた。けんち石である。これは「間知石」というのが正式名称。一辺が一尺の四角推に割り出した石の事だ。6個並べると1間。私はこの石が好きで、作品として並べておきたいぐらいに美しい形だ。これを割り出す石工の仕事は、若い間の仕事だそうで、40過ぎるときつい。この人工(にんく)が一番高給だという。
この辺りの間知石は真名鶴の方で作るらしい。舟原にも和留沢にも石切場跡があるので、この辺りでも作っていたと思う。何の工事においても、昔は基礎の基本になる石だ。先ず、ユンボで手際よく押してくれた。これですむ所はそのままでいいことにして、積み直しが必要な箇所だけ、下から積んだ。3班に分かれて、作業を進めた。一箇所は岩越さんが美しく、整った形に積んだ。岩越さんは何をやっても、それは器用にこなす。本来百姓に一番向いているのかもしれない。私と大日野さんと石井さんの美術トリオでやった所は、なかなか風情のある石垣になった。岩越さんが言うには「あれで崩れないなら、あれでいいだけど。」もう一箇所は青沼家族制作。全部で200メートルはある石垣が、何と一日で直ってしまった。3日はかかると思っていたので、心底ホッとした。舟原のメンバーはやると成ると集中してやる。
この石垣は、関東大震災で大被害を受けて、全てが崩れたそうだ。そこで、田んぼを改めて作るようなことになり、摘んだ石垣だそうだ。石垣と言うのは積み直すと3分の一に成るそうで。どういうわけだか判らないが、石が詰まって前のようには積めない。この石垣を積んだ人も今は、亡くなられている。石垣は次の世代に残る。棚田の景観。と言う事で、久野の棚田もこれから守ることに成るだろうが。これがコンクリート製の石垣では、味気ない。と言って、モルタルも使わず、丸こい河原の石を積む技術も、誰でも出来るものでもない。桑原には明治時代の丸石積みといわれる所があるが。これもなかなか美しいものである。金沢大学には、日本一の石垣があって、美術の研究室はその真向かいで、それを眺めて絵を描いていた。今思えば贅沢なことをさせてもらった。この石垣の鑑賞法と言うのが、おもしろい。背中を石垣に当てる。そして、目を180度にして、左右を眺める。こうすると、その美しさが判る。これは、実用で、是非お城に行ったらやってみてもらいたい。
昨日の自給作業:石垣積み7時間。 累計時間:15時間