田母神氏国会招致

   

報道の様子では、肝心なことがきちっと議論された様子がない。国会審議では自衛隊に於ける、言論の自由とシビリアンコントロールが、どうあるべきかを、徹底審議すべきである。その意味で、田母神論文が出たことはいいことだと思う。蓋をすべきではない。他94名の自衛官の論文は公表し、検討する必要がある。田母神論文以外の94名の論文は、任務に関する論文を外部に公表する場合は、管理者に届出を出すと言う、内部規約に基づき処理されている。とするなら、公表していいと了解された自衛隊公認の論文と言う事になる。これを分析すれば、おおよそ現在の自衛官の内、こうした国家主義的傾向のある論文募集に応ずる者の考え方が把握できると思う。多数派なのか、少数派なのかも把握する必要がある。今回の政府対応で、自衛官が議論研究することへの意欲をなくすことは、きわめて危険なことだ。

田母神氏は自衛官の教育の中心を担ってきた人でもある。防衛大学などで、どのような教育が行われているか。大変不安になる。防衛大学の教授構成などは、私学や、公立大学の教師と、定期的に入れ替えて行く必要がある。それは自衛隊内部の他の教育機関にも同様の方法が必要になっている。内部が閉じていると言うことが一番いけない。自衛隊員が訓練中にいじめ死のような死に方をしたらしい。こうした事件なども、閉じていると起こりがちだ。教官は警察や消防官、あるいは体育学校、スポーツジム指導者、などと交流交替し、出来る限り特殊な世界でない状態を作り出すことが急務であろう。軍事的秘密主義が先行して、閉じた世界にすることはあってはならない。今まで、そうした努力がまったくされていない状況が想像される。自衛官の方も、他の公務員の体験研修を義務化し、外に出て交流する必要がある。

一方、自民党の国防部会は本音で語っているのだろうか。一部田母神氏擁護の意見も出た、と報道されているが、そんな程度のものか。状況が悪いからと言って、意見を控えるとは国防部会議員として恥ずかしくないか。日頃の持論を大いに展開すべきだ。世論の空気に押されて、自らの信念をこの場面で口に出せないことが、実に良くない。田母神論文は少なくとも近現代史の懸賞論文で選ばれた論文である。この論文が最高賞であるとは、随分研究が浅いと思えた。研究と言うより意見感想と考えた方がいい。しかし、審査委員長 渡辺昇一氏、審査員 花岡信昭氏 のように評価する人がいるのも事実である。自民党内部では、特に国防部会では、この論文の方向性に、同調するひとが多数派ではないかと想像してきた。ここで黙り込むずるさは自衛隊問題、国防問題、憲法9条の問題、がタブーになり、いい結果を生まないであろう。

民主党がこの問題で追求が甘いのは仕方が無いとしても、ここは党内の意見を統一して、政府の任命責任を明確にしなければ成らない。当然、浜田防衛大臣は責任をとって辞めるだろう。しかし、大臣が辞めて終わりには出来ない。当然、麻生首相がいかなる形で責任を示すか。ここが大切である。自衛隊の教育システムの総点検、自衛隊組織がどのように機能しているかも、根本から正すべきだ。民主的な軍隊などありえない。と言う先入観を捨てる必要がある。今回の事件は、集団自衛権の解釈の変更によって、なし崩し的にアメリカ軍と行動を共にする形に持ち込もうとする、政府のめざす方向がいかに危険な内部矛盾を生み出すか。ここが要点だと思う。政府が曖昧な態度で、世界情勢に推されて、アメリカや国連の要望に従う。日本の方針というものを主張することが出来ない。こんな情けない国であることに、腹を立てているのは田母神氏だけでない。

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