沖縄戦住民集団自決の真実とは
真実というものは、いつも危うい。「軍の命令によって、住民が自決した。」私の感性では、常に真実として聞こえる。日本軍というものが、どんな体質のもので、追い込まれた状況下で、どんな行動を命令をするかが、手に取るように想像できるからだ。しかし、曽野綾子氏(著書「ある神話の背景」)や櫻井よしこ氏はこの集団自決が、遺族年金欲しさの偽証だとしている。死者への冒涜であり、遺族への侮蔑行為だ。真実については一旦置くにして、何故そうした推論に至るか。そしてそれを今さら強調するか。教科書検定は何故削除を命じたか。こちらの方が今は重要であろう。
安倍前首相の「美しい国づくり」路線に現れた背景がある。憲法改定。「戦争のできる普通の国づくり」南京虐殺の犠牲者数、自衛隊のイラク派兵、国旗・国家法、領土問題、原発や温暖化など環境問題、教科書検定に表れてきている。国粋主義的傾向とでも言うのだろうか。皇軍がそうした残忍なことをする訳がないと言う、観念を先行させようとしている。むしろ、そうした軍国主義者の方が、残忍な人間性には洞察があるはずで、「軍の自決命令」を事実とは自覚しながらの、又、必要なら又やるべきと考えていながらの、戦略的発言と考えた方が良い。軍というような組織の中で、個人の自立した精神を持たない、日本人が、追い詰められた状況でどのような行動を取るかは、今の日本人でも大きくは変わらない。私自身どうなるか不安がある。人間はそんな弱いものだから、戦争状況を作ってはいけない。と考えている。参議院選で、全く支持を得られず、結局安倍首相が退いた。美しい国づくりは間違った道だという声が、徐々に聞こえてきた。
遺族年金の問題。遺族に援護法を適用するために軍命令ということにした。このように両氏は書いている。私も、こうしたこともあったと思う。ただ、少数の事例を元に、軍命令が無かったと言う事に繋げることに無理がある。むしろ、軍命令で自決したという事実が、存在したからこそ、それに、併せる事で、処理しようとした人もいたのかも知れない。これが、普通の解釈だろう。そんな弱い根拠で、軍命令は無かったと思い込む人は居やしない。教科書検定という場を借りて、日本人の状況判断の「あたり」をつけている、のではなかろうか。不思議なことに、日本に軍隊を作りたいと、本気で考えている人達が、権力のなかに居るのだ。極めて熱心に執拗に、画策している。私は安倍前総理はその傀儡政権だった、と思っている。操作されているという無理がたたって、精神的破綻にまで至ったのだと思う。誰かに言わされている人、自分の頭で動いていない人が、落ち込む状況に実に良く似ていた。そうした人は無責任に突然全てを投げ出す。
人間というものは危ういものだ。戦争状態に追い込まれ、敗戦すれば全てが失われると思い込まされている。鬼畜米英と真実思い込んでいる。生きて虜囚の辱めを受けず、などと、馬鹿な事を刷り込まれ、洗脳されてしまう。洗脳だから、捕虜になったシベリアで、醜い日本人が沢山現われた。お国の為に無我夢中に成っている。自分たちが自決するよう命令が下れば、それを最善と思い込んでしまう。特殊な精神状況になって普通だ。とことん追い込まれた人間はそんな馬鹿な命令を馬鹿なことと思わず、狂気になって叫んでしまうのも、在り得る事だ。これはごく普通の日本人の、普通の姿だ。だからこそ、軍隊などあってはならない。軍事力でことを動かそうなど考えてはならない。平和の力で、人間愛の力で、数限りなく起こる世界の紛争をやわらげて行く。どんなに遠回りであれ、それしか解決はない。宜野湾の怒りに連帯。