大相撲の「しごき死」

   

時津風部屋で17歳の若い力士がしごきで、死んだ。3回も逃げ帰ったと言う。もう少し辛抱すれば、と父親も部屋に戻したそうだ。父親はその事を悔やんでいた。逃げ帰った時、死に至るいじめのようなしごきがあるなど言わなかった。相撲で一流の力士に成れないにしても、相撲で精神が鍛えられれば、どんな世界でも通用する、人間に成長する。と考えていた。と嘆かれていた。時津風部屋は角聖双葉山道場が始まりだ。横綱鏡里、大関大内山、大関北葉山そして、大関豊山、農大出身の豊山が、双葉山の跡を継ぎ、立派な教育をしていたことで、相撲界でも別格だった。豊山が強い力士を作れないのは、精神主義的理想主義が前面に出すぎるからだろう。などと想像していた。まさかその時津風部屋でこんなことが起こるとは。農大出身の力士が大半の部屋だ。豊山から、元小結双津竜に時津風が変わって、その後どんな状態だったんだろう。豊山も新潟だったからその縁で、入門したのではなかろうか。

ラグビー元日本代表で活躍した大八木淳史氏が、高知県内で小学生を対象としたラグビー教室を始めた。スローガンは「ラグビーを通じた人格形成を」。高校時代、陸上部で練習していた。人間というのは、情けないものだと思う、軍隊もそうだったんだろうというような、前近代的な精神で作られていた。それが教育だと、上級生も考えていたようだ。何故、スポーツで根性が鍛えられる。などと思ってしまうのだろうか。「健全な身体に健全な精神が宿る。」どこにも根拠はない。そんな繋がりがあろう訳がない。大八木氏がきっと立派な人で、その人と接する事が、小学生に良い影響があるだろうと言う事は、確かだが、ラグビーをやれば人格形成が出来るわけではない。運動部に所属して、悪くなる可能性も少なくない。

これは教育というもの全般に言えることだが、「我慢する」これは大事だが、意味無く我慢する事を、身体に叩き込む事は、精神の自由を失う。封建時代農民に、辛抱を美徳と、繰り返したようなことと同じだ。我慢強い人間の方が、社会にとって、都合がいいという仕組み、権力者や資本家にとって、特に都合が良い。社員教育に自衛隊に行かせる会社がある。自衛隊どころじゃや無く、しごきの社員教育をする機関もある。好きな事をやる。好きなだけやる。好きな事をやって、生きていける社会にする。こっちの方が、本道ではないだろうか。人間を信じた方が良い。

好きな事を十二分にやっている姿を、身近で見て育つ事。それは、スポーツであれ、農業であれ、学問であれ、方向さえ間違っていなければ、教育ができることはそこまでなのだろう。それ以上を期待することが、失敗してしまう原因じゃないか。相撲が好きならやればいいし、我慢できないなら、辞めた方が良い。私は漢字の書き取りとか、全く出来なかった。小学校の通知書に、漢字の宿題をやるように。と書いてあった。しかし、本を読むのは好きだったから、漢字はいつの間にか読めた。相撲の事、あくまで相撲は芸能の一種。おくに歌舞伎の発祥を読んでいて、あまりに共通項が多く、更にその考えを確信した。家康の考える、封建社会形成のために、歌舞伎は何度もの禁止令の中、今の形が、いわば死に体として残る。相撲修行の辛抱に特別の事がある訳がない。自分という生命が、かけがえのない大切なものであることの自覚。天上天下唯我独尊。我慢などクソクラエ。

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