格差社会の深刻化
社会の所得格差が、一段と深刻化していることが、伝えられている。民間給与実態調査というものが、国税庁から出た。年収が200万円以下の人は、1023万人と21年ぶりに1000万人を超えた。と同時に、1000万円を越える人は0,2%増加したと言う。所得税の総額は前年比8957億円(9・9%)増の9兆9321億円。全産業の昨年度の経常利益が過去最高を記録。生活保護世帯数(月平均)は107万5820世帯と前年度より3・3%増え、6年連続で増加しているそうだ。ここ10年の傾向が徐々に高まり、ついにここまで数字に表れるようになった。
日本の戦後の50年歴史は、格差減少の歴史だと、感じてきた。それは、農地解放に始まり、高度成長期の給与所得の倍増。山梨の山村での実感だった。「いい家のしぃーは、働きにでれんからょー。」働きに行けば、出稼ぎに行けば、暮らしが見る間に変わった。町に出れば働き口はあった。気の利いた人が、ちょっとした仕事を始めて、すごい生業になるというのも随分見た。食糧難から始まった戦後農業は、それは至る所を農地にして、60年代、日本の歴史最大の耕地面積になる。しかも農地の利用率も、150%から200%という満作状態。こうした意欲的な労働、高度成長を支えたものは、格差減少の感覚だ。ここに意欲が、湧き出た。実際働いただけ、暮らしが良くなった。それは暮らしを平均化することでもあった。東大教授の月収が、大工さんと変わらない。本当にそんな状態になるのかと思えた。男の子将来の夢が、大工さんが一番になった。
変化が見え始めたのは、平成に入った頃ではないだろうか。価値観の喪失や社会秩序混乱。その反面、能力主義と言われながらの、実は拝金主義。金銭だけが目標の価値観を持つ人間の社会。徐々に生じてきた、当然結果の経済格差。それは歴史的に見れば、明治以来の立身出世思想の終焉。国家の方向も、利己的な経済至上主義。グローバル化という、強者有利の経済競争の社会。世界で顰蹙を浴び、迷惑をかける日本。農業分野にも、経済至上主義こそ正義の論理が、押し寄せる。
格差の深刻は、むしろ年収1000万以上の農家の存在にある。こうした農家は農業経営士会の農家だそうだ。認定就農者には経営士農家での研修が推奨される。国から、行政から、地域の模範とされる農家だ。全ての農家にその競争に入れと言う。特殊解を事例として、そこを目指すよう、鞭打ち、拍車を掛ける。ホリエモンを理想として、やれば出来る。やらないのは、努力た足らん、知恵が足らん、農業者としての資格がない。私にとっては、人が生きる価値は、経済とは全く違う所にある。日々を精一杯、充実して、豊かに暮らす事にある。、一日が豊かな気持ちで暮せることがもっとも大切。最高の養鶏を目指してきたつもりだ。販売されている卵で、世界最高のものを生産しているつもりだ。しかし、それが経済競争力がない。もちろん外国への輸出など出来ない。年収1000万どころでない。しかし、人が幸せに暮らすことから見れば、そんなことはどうでもいいことのはずだ。所が、行政的な判断では、取るに足らない、意味のない、再チャレンジすべき農家と言う事になる。格差の根源は、価値観に由来するのだろう。