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笹村 出-自給農業の記録-

舟原のため池の工事

   

 

今回の小田原行きは2月20日から3月5日までだった。目的は2つあった。小田原の家をどうするかと言うことと、舟原のため池の埋まってしまった泥の浚渫工事とがあった。どちらも何とか方向だけは付いた。まだ先はあるが一歩だけ前進した。

小田原の家が上手く農の会のためにできないかという未練がある。この家が好きなのだ。築100年の木挽きの方が作った風情のある古民家である。何とか残したいと考えてきた。そこで2拠点生活にして、月一回は1週間ほど通うようにしてきた。

いくらか農の会の活動に加わってきた。特に舟原ため池の保全活動は、何とか維持したいと考えて、継続してきた。ただ小田原を離れて7年が経過して、農の会も私を知らない人が大分増えた。そろそろ結論を出すべき時が来ている。

この家の実際の維持は渡部さんがしてくれていた。だから私としてはそれに甘えて、こんなに自分勝手な維持の仕方をさせてもらってきたともいえる。渡部さんにもらってもらおうと考えてきたが、それは渡部さんが困るということでできない出来たわけだ。

ではどうするのか結論を出さざる得ない日が近づいている。惚けたり、石垣島から小田原に出かけることがままならなくなる。まだ動ける間に進めなければならない。そこで、小田原の家は農の会の家に出来ればと考えた。農の会はNPO法人なので、寄付を受けることは出来る。

それで進めようとして、ある程度了解を得た。しかし、農の会の参加者の中には、家を保有することは、余り感心しないという人も居ることが分かった。そういう人が居る以上、無理は止めたほうが良いと考え止めた。確かに農の会の自分たちの計画の中で、家を利用可能という強い思いがなければ難しい。

家を維持するにはどうしても費用が掛かる。加えて税金もかかる。土地は宅地が600坪、農地雑種地で400坪である。そこに家が2つ小屋が2つある。ソーラーパネルの大きなものが一つあり、まだ一定の収入がある。それでもいつか処理しなければならないときが来る。

不動産屋さんが買ってくれるというので、買って貰うのが最終手段である。それならいっぺんに片づいてしまうので良いのだが、せっかくの古民家である。壊してしまうには惜しい家である。農業をこれからやろうという人に価値がある。使ってくれる人はいないものだろうか。

上手く利用してくれる人が入れば、お願いするというのが今の状況である。これを読んだ人で興味がある人が居れば、連絡をいただければ相談したいと思う。小田原で農業をしたいと思う人が居れば、大いに利用できるものだと思う。家は100年前に建てられたものだが、まだ十分使える立派な家である。

現状では渡部さんが管理してくれているが、渡部さん自身がいつまでこういう状態というわけにも行かないと言うことだ。若い方であしがら農の会の中で、農業をやろうという方が現われて、引き継いで管理を行ってくれるような人が居ないかと言うことだ。

この舟原の家は、ここに木挽きの方が江戸時代から住まわれていたそうだ。そして自分で木を切り材木を貯めていた。そして関東大震災の時に家が壊れたことをきっかけで、その溜めていた材で、自分の家を作ったそうだ。木が生えていた方角に合わせて材を使ったということだ。

家の形は久野の古民家がすべて同じ様式なので、江戸時代からの伝統的な作り方なのだと思う。大きな大黒柱があり、10寸角のケヤキの材である。その材には四角いほぞ穴があり、埋められている。そのほぞ穴はここに馬小屋があったときのものだそうだ。山から馬で木を引き出していたのだろう。

土間があり、家族の一員である馬も家の中で一緒に暮らしていたことが分かる。この家はその後木挽きの家族が途絶えて、売られた。購入した人が神静民報と言う地元の新聞社の創業者だった。古民家を再生した。と言っても独特の直しかだった。

その馬小屋の部分の土間に床を張った。土間にあった炊事場を新しく軒を延ばして台所やお風呂など水回りを新たに作った。その際昔の玄関の場所に新しい応接室を作った。だから古民家の東側に家が付け足された形になっている。様々直し続けなければならないが、まだまだ使える家だと思う。

そして舟原溜め池の浚渫工事。前回12月の工事で、上の方の溜め池は業者の方が、泥をすべて縁に寄せて、浚渫してくれた。その際、そこにあったカキツバタ千本あまりを、抜いて土手に集めておいた。雑草に絡まれていて、ほぐせないような塊状態であった。

そこでまず1日目はカキツバタをばらす作業を行った。4人で丸一日行ったが、全部は出来なかった。1人200株づつ出来たとして、200株は塊のまま残った。2日目はほぐしたカキツバタを溜め池に植え込んだ。7人で行った。私は残った200株をほぐした。

前日ほぐした800株を溜め池に植え込んでいった。ラインを引いて溜め池一杯に植え込むことが出来た。植え込み終わって残っていたカキツバタを手伝って貰い全部ほぐし終わった。二日間ほぐし続けるのはかなり大変な作業だった。

そして3日目はユンボ作業である。農協からユンボを借りて、下の溜め池の浚渫作業を行った。どうしても排水口まで水を抜かなければ、下の溜め池が乾かない。そこまではやらなければ来年も作業は無理なことになる。今年の冬は過去にない小雨でかろうじて上の溜め池が乾いたのだ。

来年雨が普通に降れば、下の溜め池が乾くと言うことはない。そこで下の溜め池に水路を作り、排水口まで水を通さなければならなかった。しかし、それが出来ないというのが、業者の人の判断だった。その業者が出来ないという理由が未だに不明である。

農協からユンボを借りて、溜め池工事を行った。素人の私が水路を作る工事を行ったわけだが、何の問題もなく、下のため池にユンボは入れた。何故、ため池に入れないと主張したのか、今もって疑問だが、私に出来たのだから問題はない。石垣のユンボ操作の練習が生きたわけだ。

そして4日目に待っていたように雨が降り続いた。この雨で、上の溜め池は浅く水がたまった。これで植え込んだカキツバタは根付いたと思う。全く天気が味方してくれたわけだが、こういう幸運が結構ある。なにかやろうとしたときに、天気が味方してくれるのだ。

そして5日目に残っていた200株を下の溜め池の作った水路部分に植え込んだ。こちらはどの程度根付くかは分からないが、上の溜め池で枯れた場合の補植用のつもりである。10株だけ残して、石垣島に持って帰った。すぐに石垣島の溜め池に植え込んでみた。

今回の小田原行きの2つの目的は果たせた。家は渡部さんの物に移行することになった。移行してその後管理を出来る若い人を捜すと言うことになる。溜め池の整備も上の溜め池は完成し、下の溜め池の排水路は出来た。先ず先ずホッとした。

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