トランプ高市の共鳴警報

トランプ氏が訪日し、高市氏と首脳会談を行った。高市氏はアベ後継を前面に押し出し、アメリカに隷属する姿勢を明確にした。アベ氏も高市氏も若い時代アメリカで暮らして、アメリカに洗脳されたのだろう。トランプは上機嫌で世界最強の同盟を主張した。つまり日本を何でも言うことを聞く属国にした。という表明である。アメリカは軍事同盟から手を引くというカードを握った満足感だろう。
この高市トランプの会談を成功だと、一斉に日本のマスコミは報道している。なんと浅い味方であるか。ここで高市は失敗したと異論を言える雰囲気が、マスコミにはない。マスコミに論理がないからだ。思想がないからだ。日本の報道は自分の考えを持てなくなっている。反権力の報道がなくなった。角を立てずに行く報道。その時の空気に巻き込まれ、流される報道。
確かにトランプ氏と関係を深めることは悪いことではない。悪いことではないが、トランプは日本との軍事同盟の見返りを確保したうえで、世界に中国に対抗する東アジアの軍事同盟の強化を表明している。それは韓国とも同様のことだった。何が原子力潜水艦を許可するだと。何が核実験を再開するとは。この軍事拡張論者は、世界を終末にひきづりこむ。何が、ノーベル平和賞だ。
中国はいかにも余裕がある。トランプに譲った。その背景にあるものは習近平は勝利を確信した。その余裕で譲ることができたのだ。時間を待つことが孫子の兵法である。自然に勝利が転がり込んでくるときには、無理をせず譲る。徐々に中国に世界の中心が移ってゆくことになる。
アメリカの経済戦争の標的はとうぜん、中国である。中国だけがアメリカに対抗できる力がある国だからだ。中国以外の国はすべてアメリカに押し切られた。中国の周辺国である、日本、韓国が前線基地であり、中国と敵対するということを強調したのだ。いざとなれば、日本と韓国に、中国と戦わせますよ。という事を明確にしたうえで、中国との関税交渉を逆転しようとしている。
それが、高市の国防強化の約束であり、韓国の原子力潜水艦の許可であり、アメリカの原発実験の再開である。トランプは中国に敗れることに、これだけ焦っている。戦い方に焦りが見える。中国に100%の関税をかけると恫喝して、習近平との交渉に臨んだ。こんな脅しは中国の前には無意味であることぐらいだれの目にも明らかではないか。
アメリカは中国との関税戦争に敗れたのだ。これはベトナム戦争に敗れた以上の打撃をアメリカに与えるはずだ。アメリカは中国に切り札を握られたまま、ずるずると行くほか道がない。トランプ関税で脅そうとも、中国だけは対策があった。アメリカは世界に経済的な敵を増やし、中国は経済的な輪を広げている。
日本では相変わらず、中国経済の低迷を崩壊が報道されている。まったく実情の把握ができていない。中国は確かに不動産不況で、経済の転換を強いられてはいるが、生産の基調としては日本より経済は健全な状態である。しかも展望としては、アメリカよりもはるかに有利な状況に立っている。これから発展する国々はアメリカよりも中国を選択している。
中国がアメリカとの関税交渉に勝利すれば、反アメリカ化している世界の国々が、中国との関係を強くしようとするはずである。アメリカのやっていることはアメリカの孤立化である。一国主義というのだから当然の帰結である。日本のように軍事で抑え込まれている国だけが、アメリカにひきづりこまれているにすぎない。
世界史の視野で米中の経済戦争を見てみれば、明らかにアメリカは押されて敗れる帰結が見える。日本ではなぜかそういう報道は少ない。中国経済が崩壊すると決めつけているのは、日本の右翼のフェースニュースだ。今株価が異常に上昇しているが、実質経済の伴わないあだ花に過ぎない。必ず大きな反動が来る。日本はアメリカにしがみつき、道を誤った。
日本は中国との関係を模索する以外に未来はない。日本はアジアの国であり、中国の隣国である。仲良くしなければならないことは当然のことである。それが地政学上の帰結である。そもそも日本は中国からすべてを学び、国づくりをした。日本を作り上げた稲作も、中国から教えてもらったものだ。
日本は江戸時代に鎖国を行い、中国から学んだものをもとに、日本独自の文化を深めた。戦後の日本の高度成長の理由は、江戸時代の遺産と考えた方がいい。明治維新後の遅れた帝国主義国日本を、武士と呼ばれた階層が形成した。それが敗戦という哀れな結末を迎えた。しかし、江戸時代以来培っていた、日本人の庶民力が高度成長に迎えることになった。
しかし、江戸時代に培われた、庶民力は敗戦後の50年で終わった。戦後社会の高度成長期に、工業化された社会に変わり、地方が衰弱を続け農村文化が失われた。都会の中で成長した人間には、もう日本人の底力のようなものを持った百姓力は失われた。日本の都市文化では、社会というものが形成されあう、人間の再生産ができなかった。
30年の停滞というが、それはその停滞の30年を中心になって生きた、団塊の世代と呼ばれる私たちの力が、かつての日本人よりも劣っていたということに尽きる。やはり分かれ目は70年代の大学闘争にあった。団塊の世代の中の未来社会に危機を感じていた者たちが、この先の方角を戦い、敗れたのだ。
そして、多くの有能な人間たちが、社会の中で正面から生きるということを辞め、部外者的な生き方を求めた。社会の中で生きる道を選んだものも、正面から生きることなく、斜に構えて生きた。その結果社会全体としては、方向を失うことになった。戦後の復興をしたのは最後の日本人だった。
その後の世代は、社会の中で生きることを嫌ったのだろう。それが30年の停滞になった。その後の世代がアベであり、高市氏である。さらに悪くなとしか思えない。停滞は40年になり、50年になるということを意味している。戦後の高度成長期を作り出したような、国民全体の平均的な能力は、日本人にはなくなったということだ。それが日本の生産力の衰退に表れている。
これは構造的な問題というより、日本人一人ひとりの能力が低下したということを意味している。かつての日本の生産性の高さは、個人の能力の高さに由来していた。工場で働く労働者の一人一人が改善を提案して生産性を上げ続けたのだ。そうした労働者はもういないし、外国人労働者のほうが有能ということが現実化している。
教育の失敗がある。社会が教育を学校に任せてしまったところの失敗だ。本来教育は家庭教育があり、その補完として学校教育がある。家庭教育の前提となる、家庭が失われた。江戸時代の日本は家族主義の社会で、家というものが、家族の一人ひとりの人格の成長を支えていた。そこで精神力を培い、農作業で体力をつけた。倫理も、行動規範も教えられた。
こうして家庭教育で人間が作られ、人格が形成され、その人間が学校教育によってさらに成長するという事だった。その家というものは悪しき伝統でもあったわけだが、戦後その家という存在が否定され、個人の時代になった。それはよかったことでもあったのだが、学校教育がその家が持っていた人間教育を担うことができなかった。
家は失われ、核家族化した。日本人は都会で暮らすように変わった。そして私もそうであったが、それぞれに未来を見失った。勝手にやってきたわけだ。団塊の世代が社会の中心になり活動した、40歳から70歳までの30年間、それぞれが勝手にやった結果が、日本の停滞だったわけだ。それは、1970年に予想された未来だったことになる。
日本の停滞にこうした理由があるとすれば、停滞さらに続くのだろう。停滞の中で予測されることは、格差社会である。厳しい生活環境にさらになるだろう。戦前の軍国主義が強化された時代とよく似た状況だ。高市独裁政権が始まる可能性もある。次の選挙はその分かれ目になるだろう。なんとしても高市政権を打倒しなければならない。