水彩人展絵を語る会のこと
2025/09/17
水彩人展が終わった。今年も期間中は東京にいた。会期中はほとんど会場にいた。例年そうしている。それが自分の絵の勉強だと思っているからだ。普段は人の絵に接することがない。この機会を逃せないと思っている。
また今年は総務という係をしている。総務というのは、展覧会の責任者という立場である。何かあった時に責任者として対応する係である。会期中何か間違えやトラブルは必ずあるものだ。その時に慣れたものが対応する必要がある。
幸い今年は事故はなく無事に終わった。ほっとしている。今年は5年ごとに来る見直しの年である。見直しというのは、東京都美術館の利用単位が5年単位になっているということだ。すでに事務局が申請書は出している。
この5年間の水彩人の活動報告をと美術館に対して行う。その活動報告に基づいて、次の5年間都美術館が借りられるかどうかが決まる。東京都美術館を利用する団体にはランク付けがある。水彩人展はBランクの団体である。そのランクの見直しが5年ごとにある。
たぶんまた、Bランクではないかと思っているが、Aランクになると期間も長くとれるし、会場も広くとれる。それは水彩人としては強くは望んでいないので、どうでもいいのだが、開催時期や会場も、Aランクの団体がまず優先的に埋めてゆく。
その為に、Bランクの団体は2番手として、A団体が埋めた後、空いているところを選んで、借りることになる。今年と同じ時期で場所であれば、たぶん借りられるのだが、Bランクの団体場所決めもくじ引きで順番が決まるので、結構心配になる。
ロビー階の方がいいとか。入口に近い方がいいとか。暑いので、10月の方がいいということになれば、A団体にならなければ無理なのだと思う。公共施設なので、団体のランクは絵の良さで決まるわけではない。たとえ文化勲章受章者がいる団体でも建前は同じである。
絵の良さで決まるのならば、水彩人はAランクに違いないと思いたい。そう言いながらも、他の団体の展覧会を見たことが30年間もないので、どのレベルなのかは見当もつかないのが、本当のところになる。
入場者数とか、出品者数とか、巡回展やそのほかの活動状態で、決まることになる。入場者数は水彩人展は比較的多い方だ。これは、都美術館の出している広報でわかる。それでもまだコロナ前にまでは戻らない。水彩画人口が多いということと、それに比して、水彩画の公募団体は3つしかないためだと思う。
噂では、いくつか止める団体があるらしい。止めるところがあれば、何か変化ができるチャンスがあるかもしれない。10月開催で、入口に近い、ロビー階がいいけれど、A団体でロビー階は占められている。変わるところはないだろう。
今年の水彩人展も外国人の方が大勢見に来てくれている。1割くらいの人が、外国人かもしれない。たぶん私と同じなのだろう。その国のことを知るには美術館を見るのが一番である。特に今活動している絵を見れば、おおよそその国のことが見える。それで来るのだと思う。
台湾に行けば必ず美術館にはゆく。どんな地方都市でも美術館や画廊があれば見せてもらう。台湾の絵画は水準が高いのだ。日本の植民地時代に比べて、近現代の作品は実に面白い。先日韓国はどうかと思い出かけたのだが、残念ながら見ることができなかった。
水彩人27回展のことであった。絵が分かれてきた。先日書いた「私絵画」の人たち。そして、「絵画派」良い絵とされる絵を目指している人たち。「描写派」最近はやりの様式化された水彩画である。
数からいえば、「絵画派」⇒「描写派」⇒「私絵画」となるのだろう。絵画派の人たちは、公募団体やコンクールなどで評価されている主流派の絵なのだろう。水彩人でもやはり一番多くなっている。
私もそういう絵を目指していたことがあるので、ある程度は分かる。マチスが好きであれば、マチㇲの様な絵を描くということになる。マチス風で自分流を加えてひと工夫したような絵になる。評判もいいかもしれない。
どこかで見たことがあるという気もするえである。逸脱はしない絵である。絵画教室などで指導する絵というのはおおよそ、出来上がった良い絵とされるものを目指して指導が行われているのだろう。だからそういう絵が多く出品されるのかもしれない。
絵を語る会が水彩人らしい活動だと考えてやってきた。ところが、どうもあまり歓迎されていないらしい。だとしたら、水彩画の研究という、会の目的はどうなるのだろうか。それぞれが研究をやればいいというのであれば、水彩人展の意味がない。
水彩人はその主意書にある通り、水彩画の研究をするために、集まっている。ところが絵が良くなるということは一筋縄では進まない。全体で見ると、よくならないどころか、悪くなっている人もかなりいる。
絵はいいと思ったところで、悪くなり始める。悪くなり、衰退してゆく。だから、多くの年配の人の絵は若いころの絵を模写することになる。何も変わらない。変わらなければまだいいのだが、繰り返しているから、鮮度がなくなり陳腐化する。
これは、ある意味人間の常で仕方がないことなのかもしれない。芸術院会員の人の絵も、その点では変わらない。伝統工芸士や人間国宝であればそれでいいのだが。画家は芸術家のはずだ。いくつになっても革新しなければならない。
死んでしまった世界の大家の絵でも、若いころが一番良いという人の方が多い。その中で、中川一政氏のように、死ぬ間際まで絵が良くなって行った人も、例外として存在する。できないのだろうが、姿勢だけでも学びたい。
水彩人全体がそうありたいと考えている。その為には自己否定ができるかどうかである。良いなと思った自分の絵を否定して乗り越えてゆかなければならない。その自己否定が老人にも、会という組織にもできない。どうすればいいか。
考えた末にやっているのが、絵を語る会である。水彩人が良くなるということは、私の絵が良くなるということだと思っている。一人一人の絵が前進することだと思っている。頑張る良い仲間がいて、本音で絵のことを語り合うことができる環境が必要なのだと思う。
それは常に検証しなくてはならない。27回展で新しい代表になり、水彩人の空気はどうなったかである。絵を語る会がうまく開催できなかったことだけは確かだ。会としては絵を語る会の活動を提案したことを忘れていた。
だから広報が一切なかった。絵を語る会を水彩人でやることが無理になったようだ。それはそれで已む得ないことだ。これが、水彩人という団体が、老齢化してきたことでなければいいがと思う。
来年に向けて、水彩人が水彩画の研究をどう進めるのかを問わなければならない。例年の活動を繰り返すだけでは澱んで、研究をしない集まりになってゆく。確かにそういう老齢化した絵が増えてきているのかもしれない。
そういう人たちは絵を語るなどばかばかしいことだと考えるに違いない。そして、絵を語る会グループを一つの分派活動だと考えるに違いない。勝手な奴らが勢力を伸ばそうとしていると、考えるのではないか。
絵を語る会は、水彩人展とは別に画廊を借りて、年4回開催していた。そして、コロナで画廊を借りて行うことができなくなった。そして、そのメンバーで水彩人展でも、許可をもらい開催させてもらっていた。
それを会全体のものとして、開催してもらえないかという提案があった。それではやってみようということで、2回行った。今年が3回目になるはずのことだった。所がうまく開催ができなかった。
来年1月には同人会、総会がある。その時に絵を語る会を、同人会の議案として提案をしてみたい。水彩人が水彩画の研究のための組織であることを、忘れないために。