第2次世界大戦の理由

   

 

アメリカの駐日大使であったグルーは、1月3日の電報では「日本が外国からの圧力に屈するより、国家としての自殺の危険を冒してまで、決死の行動に出る可能性が高い」と本国に伝えた。日記には「日本の論理は、西洋の基準でははかれない。我々の経済的な圧力が、日本を戦争に追いやらないという信念を基に政策を立てるのは危険だ」と記している。

トランプの一国主義によって、日米同盟が危ぶまれている。世論調査では77%の日本人が日本が攻撃を受けたときに、アメリカは日本を守ってくれないと考えるようになったとある。私もアメリカが日本を防衛してくれるなどと考えたことは一度も無い。アメリカはアメリカの防衛の為に日本を利用してきただけだ。

日本が侵略戦争を行ったと考えないという人の方が、行ったと考える人より数が多いという世論調査が同時に出ていて、唖然としてしまった。呆然としたという方が強いか。日本が行った戦争の実相が、失われて行く。戦争というと被害者体験だけが伝えられている。加害体験の方が触れられることはまず無い。

何故戦争の記憶が失われるかの理由を、体験した人が居なくなり、記憶の伝承が出来ないためだと言われている。この考え方がおかしいと思う。体験とは何なのだろうか。加害者としての記憶は語られることが無い。戦争被害者の体験は語り継がれるので、戦争で日本は一方的に被害に遭ったと思っている人が多くなった。

日本が侵略戦争を行い、その加害の先兵となり、ある意味被害者でもある人たちの記憶は、ほとんど語られることも無く、また語り継ぐ活動も無く消えて、否、消し去られてきた。沖縄で起きた、日本兵による住民の処刑事件は記録されている。しかし、中国大陸で行われた日本兵の殺戮は語り継がれることが無い。

日本という侵略国家は、被害者の記憶よりも、加害者としての記憶を残さなければならなかったのだ。ここがドイツと日本の戦争に対する記憶の仕方の違いなのだ。原爆被爆者の悲痛の叫び、東京大空襲の10万人にも及ぶ焼死者。沖縄戦では日本命を奪われた沖縄の人がいる。また樺太には、日本人に殺された朝鮮人やアイヌが居る。

こうした戦争にまつわるすべてを記録しなければならない。同時に、戦争をして中国戦線で行った殺戮行為の記憶を語り継ぐ活動はない。上海において、中国人の一般人を斬り殺しに行く日本兵を、毎晩目の当りにしたと言う話を、新城さんという台湾生まれの日本の人から、直接話を聞いたことがある。

その日本兵は狂っているとしか思えなかったという。この話も、私がここに書いておかなければ、消えて行く加害の話だから書いた。その狂ったような日本兵が、たとえ日本に帰還したとしても、何も語ることは無かっただろうと思う。第2次世界大戦でアジアでの死数数は1000万人を越えると推計されている。

そのうち日本人は200万人とある。どこまで正確であるかは分からないが、少なくとも、侵略戦争を行った日本人が死んだ数よりも、その5倍もの人を日本は殺してしまったのだ。戦争を考えるときには、日本の被害者であると同時に、加害者である日本人であることを忘れては成らない。日本の加害の歴史を忘れては成らないのだ。

今回石破首相が「反省」という言葉を戦没者記念式典で述べたとある。しかもこのことは村山政権が残した「反省」という言葉を、アベ氏が抹消して以来、久方ぶりに復活したとある。反省という言葉すら使いたくない自民党政権だったのだ。これでは非戦の誓いは、あくまで戦争被害者の声になる。

果たして反省ぐらいでは済まない、侵略の殺戮をおこなったのである。日本人にはすでに、この加害の記憶が失われつつあるのだ。たしかに、自分達の父や祖父が、殺人犯であるか、その共謀者であるという戦争の記憶は、忘れたい記憶だ。ところが一方では被害者である記憶は何故忘れては成らないことなのか。

両方とも耐えがたい戦争の記憶である。私は避けている。見たくもないし、聞きたくも無い。テレビで戦争の場面が出てくるとすぐに消す。忘れたくとも忘れられない記憶である。特に加害としての記憶ほど辛い物は無い。人ごととは思えないのだ。戦争の時に自分は生まれていなかったとしても、責任は日本人としての自分にもある。

どうすれば戦争が起きないかだ。戦争の辛い被害の記憶は語り継ぐことは、小さなことだ。ロシアも、イスラエルも、信じがたい殺戮を行い、世界中が止めろと叫んでいても、止めようともしない。しかも、ジェノサイトを行ったところで、根本にある国家間の問題は解決できない。

戦争ほど馬鹿げた問題解決法は無い。ただ腹立ちや、追い込まれて、暴力を振るっているだけのことだ。ロシアもイスラエルも、戦争に勝てば、相手を殲滅すれば問題を解決できると思い込んでいるのだろうか。ところがそんなことが現実にはあり得ない。暴力で解決できる問題などはじめからない。

暴力で押さえ込まれた、パレスチナの怒りも、ウクライナの怒りも、未来永劫消えること無く、消えるどころか増幅されて、ロシアやイスラエルに向かって行く。そしてその民族の怒りは、どこかでまた再発する。戦争がこうして繰り返され来ているのが世界の歴史だ。

日本は「国際紛争を武力で解決しないと誓った国」である。それは武力では解決には至らないと言うことを、敗戦によって心底体験したからのことだ。勝利したからと言って、アメリカにとって何かが解決したかと言えば、問題は増幅してさらに悲惨な状況に至っていたはずだ。アメリカは繰り返し戦争をしている。

戦争の原因になる物を一つずつ抑えて行く。これが政治だ。食糧の自給。食糧不足は直接の侵略戦争を起こす。明治政府は領土を広げることで食糧を確保しようとした。それが戦争につながったわけだ。海外では無く、国内に目を向けるべきだった。現状日本は食糧自給が出来ない。かろうじて外国人労働者を導入して、38%である。

日本の産業全体が、日本人労働者では支えられなくなっている。日本は外国人を受け入れるだけの前提が無いまま、外国人労働者の導入を進めている。全くの泥縄式である。生活保護や健康保険が破綻する主張する政党が支持を集めている。だから外国人を排除しろという空気が、若い人の間に産まれている。

食糧自給は一日一時間働けば可能である。日曜日に七時間働けば可能である。土地の面積は100坪あれば良い。人力だけで可能である。これが私の38年間の実践結果である。ここからやり直してみることだと思っている。食糧が確保できれば、戦争になど成らない。

ドイツでは4人に1人は流入外国人だそうだ。地域によっては外国人の方が多いところさえあるという。これは違うと思う。確かにドイツに避難する人が居ると言うことだろう。自国を脱出せざる得ない人が溢れていると言うことだ。これは戦争が勃発する原因になる。

日本の外国人労働力の導入の仕方はあまりに、準備不足である。国民全体の合意が無いし、国民合意を取り付ける努力もされていない。労働力といしてどうしても導入したいのであれば、その流入する外国人が、日本という国とどう関わるかまで、考えなければならない。

日本人に徐々にどうかすると言っても、在日韓国朝鮮人は100年経過しても良い同化の仕方は出来ていない。朝鮮人問題が困難になっている原因は、日本の国柄が原因である。日本人は島国で、外国人という物への関わり方が出来ていない。そのために、アイヌの人たちの問題、沖縄の人たちの問題、民族差別に対する深刻な状況がある。

今外国人労働者をなし崩し的に受け入れていることは、止めるべきことだ。受け入れるためには、それだけの準備をしなければならない。国民全体の同意が無ければならない。日本がさらに停滞するとしても、まずは日本人が自立することだと思う。肉体労働をする人達の賃金を増やし、富裕層をなくすことからだ。そんなことを主張してもむなしい。だから、のぼたん農園で自給活動をする。

 

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