作況指数がなくなる。

   

 

作況指数がおかしいと言うことは、このブログでも何度も書いてきたことだ。おかしい物は止める、と決めた当然の小泉さんがおかしな人に見えるほど、日本の農政はひどいことになっている。作況指数がおかしいというのは、稲作をやる人間の実感である。これは数年前から、多くの稲作農家が感じていたことだ。

たぶん稲作農家は疑心暗鬼になっていた。何故自分のところだけ採れないのだろうか。何かおかしなことや、変わったことがあるのだろうかと、悩んでいたはずだ。私はそれで済ます人間ではないので、自分なりにその年の作況指数を確認していた。その結果作況指数がおかしいという結論にほぼ至っていた。

田んぼをよくよく見ればおおよその収量が分かるのが、稲作農家だ。だから採れないと恥ずかしくて、小さくなっているものだ。収量は命の結晶なのだ。見て分かるように自然となるものだ。ところがそれは命がけだけの能力だ。昔の百姓はみんな命がけだから、誰にもお隣の収量は分かった。

ところが今の農家の人は、百姓は収量の嘘をつくなどと言う。つまり見て分からないと考えて居るわけだ。まともな百姓がいなくなったと思う。百姓相手の普及所の職員もレベルが高かった。百姓と話せる人が、つまり百姓の出身のお役人さんだった。こう言うお役人が昔はたくさん居て、作況指数調査を担当していた。

想像してみれば分かるが、大学出の安定職業のお役所勤めの若者が、お米はこんなところで出来るのだと、田んぼを初めて見るような人間が作況指数を出すのだ。これで正しい数値が出ると思うか。だって、マニュアル通り出しているのだから、間違うはずがないと考えて居る程度だ。

作況指数は異常気象に対応できなかった。8000カ所を調査して作況指数を決めて、その年のお米の収量を調べてきた。ところがその調査をしてきたベテラン調査員が、一気に止めた。当然である、団塊の世代がお役所から抜けたのだ。そして、調査員の補充をしない。担当の数は、以前の2割ぐらいの、素人のような人が代替していると言われている。

これで作況指数がでたらめになった。誰でも分かると思うが、稲作の収量は5俵しか採れない人もいれば、12俵も採る人も居る。これを無作為の8000カ所どうやって割り当てて、正しい作況指数を探るのか。一つの市町村で3,4カ所である。小田原でどこの田んぼを調べれば、正しい数値が出るかだ。かなり難しい作業だ。

水稲農家の人ならば、このお宅の田んぼは毎年、きちっと栽培している。ここはいつも手抜き栽培だ。見れば分かる。見れば何俵採れているとおおよそ分かる。私の田んぼが10俵採れるようになって、近隣から見直された。そして、農協の委員にもなってほしいとなった。別段10俵採れていると行ったわけではない。

10俵採れる農家が、10俵採れる作柄が、99から101と言うことだ。もし9俵しか取れないで、作況指数が100ならば、当然何が悪いのか悩むことになる。98くらいのやや不良と言う判断になる。しかし、9俵の私の田んぼが、8000の一つに入れば、当然、103くらいのやや良と言うことになる。

収穫量をだけを計測すると言うことだが、それは必要なことなので、止めるべきではないが、見てその年の作柄が、想像できる、稲作普及員が瑞穂の国にいないと言うことが情けないことだ。それは確かに農業に関わる専門の職員が居ない。普及員自体が居なくなった。当然田んぼを見て、何も分からない職員が全国の農政課に居る状況。小田原市と石垣市は間違いなくそうだ。

私は田植後、収穫前と田んぼ巡りをする。そうしてその年の作況指数を決める。昨年の私が見た作況指数は95ぐらいしかない、不作だった。せいぜい良くて、97だろう。何故それが101という数字になるのか、全く信じられない数字だった。平年作だった人など小田原には居なかったはずだ。95は小田原の異常気象から当然に思えた。

だから、後になって作況指数101と言う数字を見たときには驚いた。最後の作況指数がでるのは遅く、12月に入ってからだったか。ショックだった。どこか採れたところあったのかと思った。そしてみんなに聞いてみた。しかし、平年作の人など居なかった。暑くてダメだった。夜温が高すぎた。病気もでた。悪い話ばかりだった。

みんな田んぼを見ればどう言う百姓か分かった。ところが、田んぼをやったこともない、職員が規則に従い調査をしたところで、何が分かるというのだ。坪刈りぐらいやるのだろうか。こう言う様変わりした時代になった。にもかかわらず、農水省のお役人達は、農業経験の無い、農業を知らない人たちだから、作況指数がおかしいと言うことに気づくこともなかった。

もうこういう人の手を借りた調査は無理なのだ。人工衛星画像から全体を調査をすべきだ。これで北朝鮮の食料生産量などを調べているのだ。同じことだ。衛星画像をAIを使って解析させる。それで実際の田んぼを調べて、その精度を上げて行く。これ以外にお米の生産量の正確な数字など分かるはずがない。

そして、やはり生産過程で、作柄を知りたいのだ。それに従い、いろいろ悩みながら追肥など調整している。生産過程出の作柄の発表を止めてしまうのは良くない。まあ、でたらめの数字しか出せないのであれば、ない方が良いのだが。作柄判断が出せない国になったことを認めて、諦めるほか無いのか。

まともな数字がでるように、AI神さまにお願いするほか無いのか。中国の農業統計を悪く言っていた日本の有様に情けない。そもそも正確な田んぼの面積だって把握が出来ていないだろう。一年に何度か国土調査を衛星から行う必要はある。そのデーターの蓄積があれば、正確な作況指数が出るようになる。

衛星から観測正しい正しい数字を新しい作況指数として、発表して貰いたい。政府に無理であるなら、民間委託する。大学の研究機関の方が良いかもしれない。やはり作況指数は必要なものだ。ただ廃止すれば良いという物ではない。私はこの数字を見ながら栽培を調整している。

だから作況指数がおかしいと言うことに4,5年前から気づいた。それでも、まさかこれほどおかしいとは思わなかった。結局、農業者の実感が一番正しかった。ここ数年お米は不作が続いていた。その理由は気候の熱暑化である。日本の夏は熱帯気候になった。品種を変えなければ無理になっている。

夜温が高すぎるのだ。つまり熱帯夜である。イネは夜にデンプンをため込み、籾に送る。ところが、あまりに暑すぎると、自らの身体を維持することが精一杯になり、籾にデンプンを送ることが出来なくなる。そのために粒張の悪いお米になる。だから、夜温高くてもデンプンが貯められるお米を作出しなければならない。

ところが、作況指数を計測する職員が4分の1になったように、イネの研究者も冷遇されている。沖縄県には沖縄県向きの品種がなく、品種の作出の努力もされていない。東北のお米を無理をして作っている状況である。沖縄でお米など作らないで良いというのが、政府の考えなのだ。

当然農業関係の職員はどこの自治体でも2割は減らされ、その上で同じ仕事をしている。ひどい忙しくなっている。その上ベテランの人は居なくなった。質が低下しているのは想像が出来る。研究職員となると、最初に削減されているのだろう。新品種の作出は民間がやることになっている。

それは、沖縄だけのことではなく、熱昇化する日本全体に対応するイネの品種がなくなっているのだ。これは日本の停滞の一つの表れだ。台湾にはジャポニカ種の熱帯向き品種がある。中国にもある。たぶん韓国にもあるのだろう。瑞穂の国のはずの日本が何故ここまで停滞したのか、寂しい限りである。

私がもう10歳若ければ、取り組むところであるが、今から10年はかかるだろうから、残念ながら今からでは間に合わない。そこで、石垣島では年3回収穫するひこばえ農法に取り組んでいる。1回が5俵しか取れないでも、3回収穫が出来れば、15俵になる。ひこばえ品種も中国は様々登場している。日本にはない。これも悔しい。

諦めるわけにはいかないので、ひこばえ農法の確立に向けて頑張る。昨年良いできではなかったが、3回の収穫は出来た。今年は5俵3回の収穫の実現が期待できる可能性が高まっている。安定して収穫できる農業技術に仕上げるつもりだ。つまり、誰もが同じにやれば出来る農法である。のぼたん農園はひこばえ農法の聖地になる。

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