農業遺構について

   

 

 

舟原溜め池の保全を続けてきて、残念ながら、小田原では農業遺構が社会から無視されてきたと痛感した。舟原ため池とそれに関連した農業遺構は、全体が保全されていれば、その作られ江戸初期の年代や規模の大きさから、重要な漑施設遺産であったと考えられる。

農水省の中に、「世界かんがい施設遺産」というものがあり、かんがい施設の適切な保全に資することを目的として、建設から100年以上経過し、かんがい農業の発展に貢献したもの、卓越した技術により建設されたもの等、歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を認定・登録するために、世界かんがい施設遺産制度を創設した。

この制度に申請したいと考えている。世界では177,日本では54の施設が認定されている。お隣の静岡県では5か所も認定されている。すべて水路である。香川などではため池の認定もされている。確かにそれらに比べると、舟原ため池は規模が小さいかもしれない。しかし、その遺産の価値の重要度は高いと考えられる。

登録により、かんがい施設の持続的な活用・保全方法の蓄積、研究者・一般市民への教育機会の提供、かんがい施設の維持管理に関する意識向上に寄与するとともに、かんがい施設を核とした地域づくりに活用されることが期待されていまる。まさに私の考えていることそのものである。

現在小田原ではお城と言えば、戦後になって鉄筋コンクリートで再建された物であっても、とても大切にされている。観光客も多数集まっている。私にはあの建造物が小田原のシンボルと言われても、ちょっとたまらない気分になる。だからと言って今更木造で再建する意味もない。観光のためだと割り切れば、なんとなく愚かなことだと思うほかない。

その理由は分かっている。権力者は権力の歴史が好きだからだ。一方で庶民の歴史をあえて残すほどの物とは、考えない傾向がある。柳田民俗学はその抵抗運動のようなものだ。政治を担う権力者にとって、過去の権力者を敬い、弔い、大切にすることが、何か自分が権力者になったような喜びがあるのだろう。情けないことだが、権力を目指す人間は大むね、そういう傾向がある。

むしろ、庶民のしいたげられた苦しい歴史や、百姓の地道な生産の歴史は、消し去りたい歴史と考えて居るのかもしれない。と思うことさえある。例えば、戦争の庶民の記憶など、また戦争をしたいと考える権力者には、当然消し去りたい歴史の記憶なのだ。

農業遺構は人間の暮らしの歴史的遺物である。各地の棚田が残されているのは、その主因は景観上のことである。美しい景観が観光要素になるために残している。しかし、実はそれは派生的な要素である。農業遺構としての棚田を通して、その場所に棚田が作られた人間の暮らしを考えるべき農業遺産ななのだ。

農業遺構を、生きた形のある物として残すことの意義は大きい。人間がどのように暮らしてきたのかが見える。自分の手で食料を作り暮らす。この当たり前のことが、ついこの前の時代までは普通のことであった。それが産業革命、そしてコンピュター革命を通して、実感のないものになった。

人間の暮らしが、地から足が離れた。生きる基盤を見失った人類は危うい精神状態に陥ると思われる。すでにトランプが現れ、アメリカ人が熱狂的に支持している姿は実に危うい姿に見える。宙に浮いた豊かさが、行き過ぎた能力主義を正義とするようになっている。アメリカは強いのだから、弱いものを従わせていいと考えている。

まさに力による現状変更の目論見である。民主主義を失しなった理由は、自分の手で生きる場という原点がなくなった結果ではないかと見える。流通であるアマゾンの利益。知的財産によるアイフォンの利益。こうしたものは場がないとすれば、税が直接はかけられないと、先日教えられた。

だからこそ自給農業という原点を残す必要があると、再認識をした。農業遺構の保全も同じことである。人間はどのように暮らしてきたのかが見えなくなれば、この先どう生きるべきなのかが分からなくなる。

今の日本はそういう所にあるのではないかと思う。やっと日本が東アジアで、5番目に置かれたコンピュター革命下の国だという自覚が、共通認識になってきた。その原因は革命に気付かなかったのだ。アベノミクスの大失態である。新産業の創出ができなかったのは、新産業の方角が、革命とはづれていたためだ。

アベ氏は日本の停滞の象徴と言っていい。明治日本帝国の亡霊だったのだ。だから、あの反日組織統一教会とつるんでいた。そして軍閥の復活を妄想していたのかもしれない。もし生きていたとすれば、もう一度総理大臣をやり、日本を戦争に導いた可能性すらある。

話はいつものようにそれてゆくが、舟原ため池という農業遺構を残すということは、意地でもやりたい。それが小田原に500年前に次第に増えた人口の意味を表しているからだ。北条市が云々などというものよりも、小田原に田んぼが増えた結果起きたことと考えるべきだ。

確かに楽市楽座のような、流通の側面からみる見方もあるが、さらに深く考えれば、生産の拡大こそ、重要なことなのだ。食料の生産量が、人口数を制御してゆく。その食料の生産の歴史を残してゆく必要がある。ところが、完全に歴史から消え去っている。権力には忘れて構わない歴史だからだろう。

私が動ける間は一人になっても、必ず舟原ため池は保全する。これからは、ほかの農の会の作業にはもうかかわれないが、舟原ため池だけは年寄りの意地で管理してゆく。ただ、そう遠くなくそれもやれなくなる。その前に何とか維持してくれる人を探したい。誰か現れないだろうか、切実な願いである。私一人でも可能な作業なのだから、一人でもそういう人がいれば、管理は続けられる。

月に一日草刈りをすれば、一人でも何とかなく。草刈り機ハンマーモアーは1日3000円で借りることができる。その費用は捻出できるはずだ。出ないなら私が死んでからも出すつもりだ。舟原ため池は、小田原市の土地である。本来管理責任は小田原市にある。ところが、その管理を怠っている。大切な農業遺構であるという認識がない。

おかしいとは思うが、そんなことをいまさら言ったところでむなしいばかりである。自分でやればいいと思っている。その代わりというか、舟原ため池はカキツバタの群落にした。色々調べた結果、カキツバタが一番管理に手がかからないからだ。すでに上半分の池は一面カキツバタになった。5月1か月は咲いていた。

これが楽しくて仕方がない。植物が好きだから、こんなに広い池を管理し自由にカキツバタを植えられる。これだけで溜池の管理は十分報われていると思っている。だから、負担だと考えているわけではない。やりたくてやらしてもらっている。この先も動ける間はやらせてもらいたいのだ。

実は、同じように石垣島ののぼたん農園でも溜池を作り、熱帯睡蓮と蓮の栽培をしている。それもまた楽しくて仕方がない。蓮がもう少し増えたら、舟原ため池の半分は蓮池にしたいと思っている。そこまでできれば本望であるが、人間の寿命の方が、植物よりもはるかに短いので致し方ない。

もし、小田原に水生植物好きの人がいれば、仲間になってくれないかと思う。こんな素晴らしい池で楽しい園芸ができるのだ。素晴らしい景観の場所だ。水は湧水である。ここで出来た植物の直接販売は、小田原市のため池なのでできない。もしできるんであれば、管理費用ぐらいすぐにでも捻出できるのだが。

通販では一株1000円で売られている。小田原市のフラワーセンターで5月に花付き株を50株売れば、活動が続けられる。小田原市は溜池の管理のために、そのくらい許してくれないものだろうか。たぶんそれが許されるのであれば、管理を続けてくれる人もいるに違いないのだが。

もう少しカキツバタが増えれば、舟原カキツバタ池で、人が集まる場所になる。近隣にある池は行政が費用を出して管理をして、観光地化しているところもある。ただどこもカキツバタの栽培には失敗をした。今はカキツバタは無くなった。カキツバタの美しさは格別であるから、人気の場所になるに違いない。もう一息のところまで来ている。

 

 

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