やなせたかしさんのこと
NHKの連ドラは「あんぱん」である。一応やなせたかしさんがモデルと言うことだから、アンパンマンなのだろう。内容的にはかなり作られた話になっていると思われる。しかし、やなせたかしさんの真の人生は小説より奇なりで、真実に従って貰ったほうが面白かったはずだ。
戦後の漫画の世界は新しい表現を生み出した。手塚治虫氏やちばてつやさん、そして白土三平さんだ。何百人もの才能豊かな人たちで、新しい芸術を生み出していたのだと思う。子供の頃の芸術の潮流の中で育ったことは、幸せな体験だったと思う。
絵画からの影響よりも、漫画からの影響の方が遙かに大きい。その実感がある。絵柄で考えるような、あるいは絵柄で教えられるような体験である。影丸伝の土埃は今も、底辺にいる自分を取り巻く体験になっている。
やなせさんのつくった「アンパンマン」は読んだことがない。あの絵が明確に嫌いだった。子供の頃は貸本屋で漫画を借りては読む子供だった。ストーリーよりも絵にこだわりが強かった。白土三平氏の絵が特別に好きだった。あの迫力ある絵柄にはまって驚嘆していた。
忍者武芸帳の全体のストリーは良く理解できなかった。一場面一場面に飲み込まれてしまい、全体の話は問題ではなかった。1959年から1962年まで三洋社から出版。全17巻。とある。小学校4年生から6年生の間に出されていた。貸本屋で出回った。間違いなくすべてをむさぼり読んだ。
少し年代的にも、掲載雑誌の違いと言うこともあったのだろう。「あんぱんまん」の絵は幼児向きに見えた。アンパンマンが何に連載されていたのか、気づくこともなかった。本来の漫画は子供向きと言うことはない。
やなせたかしさんはむしろ今で言うテレビタレントとして、最初知っていた。漫画を書く人だとは知らなかった。大して面白い人だとも思わなかった。何か感覚が違う人だと捉えていた。どうしてテレビに出ていたのだろうか。もっと面白い人がいくらでも居たのに。
やなせたかしさんは特徴があり、興味を引く出演者だった記憶はない。言われてみれば居たような位だ。何をしていたかは分からないが、何かテレビに出ている人という印象ぐらいはある。初めてそうなのかと思ったのは、「手のひらを太陽に」の歌である。
1961年の歌と言うから、私が小学5年生の時に作られた歌である。作曲がいずみたくさんである。小学校でみんなで歌った記憶もある。もちろん誰がどう言う意図で作ったと言うことまでは気づくことはなかった。
血管を空かしてみて、血の流れを見るという所が不気味な印象だった。悪趣味な歌詞だと感じていた。気持ちが悪かったのだ。身体の中を空かしてみるという感覚に、異様さを感じた記憶がある。
一体これが前向きな健全な歌なのかと不思議だったのだ。ただいずみたくさんの曲が元気がでる物で、嫌な感じは緩和されていた。どこかで合唱させられたような記憶もある。合唱だと歌詞の意味など忘れて歌った。
何故、身体の中の血の流れから、自分の元気を感じなければならないのか、異様な感覚だと思わざる得なかった。自分が、人間が、「生きている」と言うことの意味を、蛙やアメンボと一緒にして考えるという、新しい視点を貰ったことは確かだった。
やなせさんの絵は、今でもどうも好きには成れない。感覚的なことなのだろうけれど、人間を血の流れで生きていると感じる感覚につながっている。もちろん劇画だけが好きというわけではない。ちばあきおさんが一番好きな作家だし、水木しげるさんとか、つげ義春さんには衝撃を受けていた。
昭和の戦後の時代は小説家よりも、漫画家の方が創作レベルが遙かに上だと思う。それは今にも続いている気がする。戦後の時代を、庶民として生きるために懸命だった漫画家の方が、文化として一段低い世界とされていたことで、むしろ本質に近づいたのではないか。
庶民の底辺から起き上がった漫画。いわば、江戸時代の浮世絵や洒落本の復活である。戦後80年で漫画も新しい時代に突入している。アニメと呼ばれるようになり、正統な文化として認識されることで、不屈な野生を失うのかもしれない。
シシヤマザキさんがいる。この人の映像を見ると、日本の才能はまだ捨てたものではないことが分かる。伝統美と現代美がない交ぜになり、新しい世界観を表している。学ばなければならない。
漫画が芸術表現となり、多様なものが登場した。白土三平氏は良く共産主義的イデオロギーが問題とされるが、忍者武芸帳ではそのようなものは全く感じなかった。多分後付けのこじつけなのだと思う。後にそういう意味合いを感じる物はでてきた。
むしろ漫画からストーリを排除して、画面から世界観を表現しているとみるべきだ。つげ義春をガロで読んだときは、驚異的なものを感じた。白土三平氏はガロを作り、新しい漫画表現を模索したのだ。『ガロ』は1964年から白土三平氏が作った青林堂が刊行していた漫画雑誌である。
ガロ世代であった私は、アンパンマンを読まなかった。ガロには水木しげる氏、内田春菊氏、蛯子能収氏、 杉浦日向子氏、滝田ゆう氏の作品もあった。その後も、ガロ派であった私の漫画の傾向は、アンパンマンには、興味は向かわなかった。
アンパンマンを知った理由は、自分の顔をおなかをすかせた人に、食べさせるという正義の話を聞いたときだ。と言って漫画を読んだわけでもないし、アニメを見たことも今でもない。このわかりやすい正義の意味が、わかりやすすぎて、分からなかった。
自分の顔を食べさせるという正義の意味を「戦いに勝つことではなく、ひもじい者に食べ物を与えることだ」と語っている。「正義を行おうとすれば、自分も深く傷つくものだ。でも、そういう捨て身、献身の心なくして、正義は決して行えない」
逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、目の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。アンパンマンのテーマソングには歌われている。
なんのために生(う)まれて
なにをして生(い)きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
この「そんなのは いやだ!」というあたりが、アンパンマンが好きになれなかった理由のようだ。イヤという姿勢で、生き方を伝えようとするところだ。このように生きたい。あるいはそんな風には生きたくない。と正面から言いたい。いやだ!は少し違う。
子供達は顔を食べさせるアンパンマンが好きらしい。多くの子供は嫌だの世界に生きている。変えると言うことは出来ないから、好き嫌いの中に、受け身の世界に生きている。子供は自分がどうするかではない。どのようにしてもらえるかなのだ。
小学生の時の私はどうも子供ではなかった。多分、あの頃の貸本屋に通った同級生達も、子供ではなかった。子供向けの貸本を読んでいたわけではない。大人は読まなかったのだが、大人子供の世界があり、それは子供じみては居なかったのだ。
子供向きであるアンパンマンが今の時代によみがえるのは、大人まで子供だからだ。つまり、子供大人が増えたのだ。やなせたかしは「箱入りじいさん」だったのだ。そのように、看破したのは糸井重里さんである。ほぼ日にそう書いている。
子供のままの人だったようだ。やなせたかしさんの作品について評価していないというようなことばかり書いたわけだが、その思想は素晴らしいと考えている。自分の思想を貫いた人である。アンパンマンとして生きた人である。
詩とメルヘンは購入していた時期がある。考え方がすごいと思ったのだ。商業主義を超えて生きた人である。良くここまでやられたと思う。素晴らしい人生を生き切った人だと思う。戦争の時代を生き。戦後の時代を作家として乗り越えた。何故子供達がアンパンマンを支持したのかを考えてみなければ。