中国は寓話の国

   



 禅について時々考える。考えてもまるで分からないのだけど、考えている。絵を描いているときの心境は、禅の心境に近いのだろうなとは思う。自分と言う存在が、画面に対する反応になっている。禅は思量・不思量・非思量の関係性である。とよくいわれる。こういう分析はまだ分りやすい。

 禅は無念無想ではないと言うことになる。以下おもしろい話なので添付した。挿入されている話がいかにも中国らしくておもしろいのだ。中島敦が大好きなので、中国の逸話が特別おもしろいと昔から思っている。例え話で禅のような難しい話を分りやすく説明しようとする。

以下引用
 坐禅の実践のうえで思量・不思量・非思量の関係性を明確に、しかも具体的に提示された解説としてご紹介したいのは、橋本恵光老師の解説です。橋本老師は『普勧坐禅儀の話』(大樹寺山水経閣1977)において、『涅槃経』巻二十高貴徳王菩薩品の逸話を引かれて解説しました。非常に面白くしかも明確な解説なので、長くなりますが引用します。
 
 ある国の王が国政をゆだねることのできる智臣を得ようと思い、大勢の家来に向って、“都の端から端まで群衆の中を、油を一杯に満たした器をもって、ひとしずくもこぼさないように運ぶものはないか、いささか考うることがあるから自信のある者は名乗って出よ”と命を下したところ、事のむずかしさに、いずれも、しりごみして容易に受けようとせぬ。ようやく一人、応募者があり、さっそく行なうことになった。王は別人を付して抜刀をしたまま随わせ、ひとしずくでもこぼしたら直ちにその人を切り捨てることを厳命した。飛んだことになったとは思ったが、いまさら何とも仕方がない。それこそ命がけで群衆の中を縫うようにして、万全の気配りを怠らず、ついに目的地に達した。王は喜んで大臣にして国政をゆだねたという。(中略)

 この油を運ぶ心持ちで、思量・不思量・非思量の三角関係が極めて自然に、その融和状態を完全に確保しつつ活動を続けていることが味わわされる。うつわをささげ運ぶ命がけの心の働きは、無念無想などの心持ちとは全然、様子の違うことは誰でも見当がつく。これが坐禅のうえに適用されれば兀兀地の思量は、いわゆる念恵の保全、回光返照の退歩、了々として常に知ることだとハッキリ分る。かように心がギリギリ一杯働きながら何の余念も萌すべき隙は一点もなくして、心がギリギリ一杯働いていることすら心付かないで働いている様子は、思量がそのまま不思量になっている趣きだ。不思量ではあるが、身体中、どこに狂いが起っても直ちに気がついて立てなおすというよりも立てなおることができるのは、不思量の思量が全身にみちているからである。

 すると思量と不思量と世の中では全く正反対の心境として扱っているものが、何等の媒介的手段も仮り(マ)ない(マ)で思量は思量、不思量は不思量の特性はいささかもくらまさずして、しかも完全な妙融状態を呈して対立的なありさまは全然ない。この特殊性態と妙融状態とを極めて自然なことばでひとつかみに表現のできる名前が、どうしても入用だ。この要求に応じたものが非思量という名称である。

 思量・不思量・非思量の三角関係を理論のうえから参究を進めていこうとすると、むずかしそうに扱われることが、油を運ぶたとえで見当をつけてかかることにすると、まことに造作なく誰にも納得がいく(186~188頁)。

 油をこぼさないという一点に集中する。集中することで他のことが消えて行く感覚を重んずる。この一点に集中することで、邪念の湧いてくることがなくなる。集中して邪念を消す力を試したのだろうか。あるいはバランス感覚の良い肉体の持ち主こそ、政治をつかさどるべきと考えたのか。

 森鴎外の小説に「寒山拾得」がある。取れない頭痛を湯飲みに入れた水に意識を集中させることで、直してしまう話である。これは寓話である。寒山拾得という、風狂の僧の中に仏を見る。寒山は詩を作り、十徳は僧が食べるお米の籾すりをしていたらしい。どうやって籾すりをしていたのか興味が湧いてくる。

 私の禅はむしろ邪念の塊である自分という物に直面することである。くだらなさに面と向かうこと。ダメなことを受け入れること。禅をそういうダメこそ禅で行くと言うぐらいの思いで、禅と向かい合うことにしている。私は道元ではないし、及びも付かない。

 果たして国王は何を試したのだろう。もしこれが実話であるならば、愚かな国王というほかない。こんな国王に統治された国ではこまる。むしろ油をまずすべてこぼしてから、都の端まで歩む者はいないだろうかと私は思う。あるいはまったくこぼれることなど気にせず、油をまずすっかりこぼしてしまい、都の端まで歩くのも良い行いだと思う。その人で良いのだ。それで殺されるなら本望ではないか。くだらない君主に仕えないですむ。

 仕官したいので試験を受けるということがすでに、愚か過ぎることである。太公望も直針で釣をしていて仕官する話。中国の逸話は王に使えることを良しとするものばかりだ。王になる話よりも王に仕える話というところが中国らしい。

 油をこぼした人民を殺せなどと命ずる王に仕えるのはくだらないではないか。ここでは油をこぼして歩いて、王の命令を一切気にしない。つまり生死を超えている存在の意味を示すのも良いかもしれない。油をまず流し捨てて、王には仕えることはないと言うことを示してから、歩けばこぼす物など何もないと言うことを示すのも良いかも知れない。

 ここでは油をこぼさない集中している心境の逸話を思量・不思量・非思量の三角関係を理論と言うことで見ている。禅の心境とは油をこぼさない心境は違う。失敗してはならないというような、不自由の中に禅は存在しない。全くの自由である。禅であれば、油をこぼして歩いて良いのだ。そんなことはどうでも良い世界が禅である。

 絵を描いていて間違った線などないと言うことになる。引かれた線がその絵なのだ。問題はその線が自分だと言って良いものにまでなっている、と自覚できるかである。この間違いも含めて、自分であると言えるかだろう。絵を良く描こうと言うことが違っている。自然を写そうと言うことも違う。
 
 絵が自然に立ち現われてきた物になるまで描くほか無い。只管打画である。ただ描くことが出来れば、それでいいのだ。出来た絵を当必要は無い。私が自分の絵を問うのは、至らないからである。至ると言うことは無いのかも知れない。何とか至りたいと言うことが、私の乞食禅の修行なのだ。
 
 寒山拾得にはもう一人の僧が登場する。頭痛を治した豊干 という僧である。この僧は実在した人らしい。豊干 も詩篇を残したらしいから、3人で一人なのかも知れない。豊干禅師は 天台山南西の国清寺の住職であった。虎にのっていたと言われる。

 寒山詩というものがある。禅僧が物を残すと言うことには疑問もある。住職であった豊干禅師は詩を書いたらしいから、それを寒山拾得に託したと言うこがあるかも知れない。井伏鱒二の「寒山拾得」は漂泊の絵師の話だ。泊まった旅館に掛かっている絵を模写して、売り歩く話だ。

 寒山拾得の図を漂泊の絵描きとその友人は、その笑いを競演する話だ。寒山拾得図は不思議な笑いを描いたものが多い。笑う姿の中に悟りがあると言うような図なのかもしれない。日々を笑いながら生きる事ができればそれでいい。

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