小田原に来て分かる、石垣島の希望。

扇芭蕉の苗が植えられている。10カ月ほどたったのだが、余り成長していない。今年は根付いたので、成長してくれるかもしれない。扇芭蕉の並木が出来れば、ある程度風よけになることが期待できる。風よけになるには、あと2,3年はかかるかもしれない。
小田原には15年ぐらい暮らした。小田原を離れて4年と4カ月になる。今は月に1回1週間ぐらい小田原に来るという暮らしをしている。最初の頃は1か月ぐらい続けてきていたこともあるのだが、一昨年からのぼたん農園を始めて、水牛を飼っている。一週間以上は空けにくい状態である。
今回、10年に一度の寒さと言われる中小田原に来た。石垣島でも引っ越して以来一番寒い10度を体験した。当然小田原でも久野舟原は一番寒い。街中よりも2度は低い。夏は良いのだが、冬は毎年厳しい。厳しい中でも、友達がいるから小田原にも来たくなる。今回は久しぶりに大豆の会の味噌づくりに参加したかった。
それで無理に渡部さんに麹づくりをお願いして、参加させてもらう事になった。大豆栽培は時々参加させてもらうのだが、依然寒い時に小田原に来て、身体がおかしくなったことがあり、それ以来極寒の味噌づくりには参加を避けていた。
大豆を作り、味噌、醤油、納豆は自給したという思いがある。発酵食品による自分の健康の原点であると考えている。これだけは止めてはいけないような気がしている。山北での開拓自給の生活の中で、見つけた暮らしである。せっかくここまで開拓した暮らし方を後退させたくないという思いがある。
コンビニスパゲッティもおいしいと思う。別段こだわりがある方ではないが、味噌醤油納豆で確立した発酵食品の暮らし方を忘れたくはない。原発事故、コロナパンディミックと発酵食品の恩恵は大きかったと考える。少なくとも、石垣島で大豆が取れるまでは小田原の味噌づくりには参加したい。
あしがら農の会は今年、設立30年。NPO法人化20年という事だそうだ。そうだとすると、山北で開墾生活を始めたのが、設立の5年ほど前になるから、開墾生活35年という事になる。農的生活を始めてからの年月、人生の半分を送ったという事になる。
一年でも長く農的生活を送りたいと考えている。最低限でもあと9年はやる。のぼたん農園はあと4年で完成するのだが、その後5年間は維持管理をさせて貰うつもりだ。賃貸の条件もその10年と契約をした。82歳までなんとか動ける予定である。その後のことまでは分からないが、あと9年は責任を覚悟している。健康で元気に動けるように、暮らしてゆくつもりだ。
その健康の為にも味噌づくりである。味噌づくりは今年は何と、収穫量クイズで私がニアピン賞で、味噌づくりに無料で参加できる。申し訳ない限りなので、今度何らかの形で、協力させてもらいたい。味噌の会を維持している、太田さんや藤崎さんの苦労は大変なもののはずだ。
小田原には絵を描きに来たいという気持ちも強い。やはりこの冬枯れの姿もなかなか捨てがたい。寒さの厳しさをものともせず受け入れている自然というものの姿に、感銘を受ける所がある。葉を落とし、身をさらして受け止める木々の姿は謹厳なものを感じる。
霜に覆われた白い畑。厳しいむき出しの姿がある。突き詰めた姿。いつも自然には厳しさと、受け入れてくれるおおらかさとがある。南国の楽園に暮らしていて、時々凍てつく自然の姿に目を覚ますことで、楽園の意味が深くから、浮き上がり見えてくるような気がする。
やはり、物がはっきり見えるという事は様々な角度から見なければならないのだろう。のぼたん農園の意味が見えてくるためには、のぼたん農園にばかりいてもダメなようだ。他の農家のやり方を見ることで気づくこともなにかとあるはずだ。
欠ノ上の棚田の畔直しをした。直しながら石垣との違いを考えた。棚田の傾斜はほぼ同じである。然しその維持法や作り方はまるで違う。水土の問題だ。水の量が全く違う。土の性質も大きく異なる。どちらが良いともいえないものだと改めて思う。
その土地に適合したやり方でやらなければならないという事だ。と言っても、共通することの方が多い訳で、その見極めが出来なければ、いつまでたってもその土地にあった農法が確立できないという事になる。イネという作物を田んぼで作るという意味では共通である。然し稲の品種は土地土地で適合するものがあるという事になる。
水土にあわせて品種を選ばなければならない。大きく言えば、南の方はインディカ種で北の方はジャポニカ種なのだろう。日本人の味覚にはジャポニカ種がなじんでいる。その為に、石垣島でも作りにくい、ジャポニカ種を作ることになる。その為に亜熱帯で作れる稲の新たな品種が必要になる。
石垣島に適合した栽培技術が模索される。毎月稲刈りをして、新米を食べる農法。保存設備のいらない稲作。もしこれが出来れば、前代未聞の稲作法になる。自給農業であれば、例えば月々5キロのお米として、30人が食べるであれば、一ヵ月100キロのおこめがあれば何とかなる。
つまり2畝あれば何とかなる。一つの田んぼで2回収穫があるのだから、6つの田んぼを回して行けば、何とか足りるという事になる。のぼたん農園では10の田んぼでは耕作できるので、余裕をもって回してゆけるのではないかと思う。
毎月稲刈りはするが、田植えはめったに行わない。ひこばえ農法だからである。稲刈りは手刈りで水を落としただけのぬかるんだ田んぼで行う。一か所の田んぼの稲刈りは、手刈りでせいぜい1時間である。これを脱穀まで行い、天日干しをする。ここまでやっても半日で出来るはずだ。
天日干しは陰干しで2日でいいだろう。すぐに籾摺りをして配る。月に一回こうした日を設けて、取れたお米を一人3~4キロ配れれば最高である。これを各自が持ち帰り玄米で食べる。白米で食べたい人は、家庭用の精米機で、精米しては食べるという事になる。
一ヵ月のことであれば、特に虫が湧く心配もない。4キロぐらいならペットボトルに詰めて、冷蔵庫に入れるのもいいかと思う。まだ4つも田んぼに余裕があるのだから、一つは糯米になるだろう。残る3つは緊急用たんぼだ。ここのお米は余るはずだから、手伝ってくれる人に分けるようにすればいい。
いろいろ夢が広がったが、これがのぼたん農園の楽しい冒険である。技術の確立である。そこまで技術が高まれば、楽にのぼたん農園は回るようになるはずだ。無肥料で行う事も想定している。何も持ち込まないも、技術の積み重ねがあってできるものだ。何とか確立するつもりだ。それが私の役割かと思う。