農の会は会費がないから続いている。

「とうまた田」
農の会には名簿もないし、会費もない。名簿を作ろうという人が居たのだが、その理由がおかしかった。それ以来作らないことにした。必要な経費はその部門に参加した人の数で、割り出して均等に負担する。そのようにしたことには理由がある。活動のすべてを奉仕と言う形で参加者全員の平等を作り出すためだ。
農の会の活動は自給のための活動である。自給の労働には対価はない、と言うことにした。働きたいものが働く。必要だと思うものが働く。指導をしてお金を取ると言うことはない。人に働かせて監督するというような人間は不要だと考えた。人間を信じることにしたのだ。
それは終末期の資本主義と戦うための方法だったのだ。お金とは切り離された活動でなければ、資本主義の拝金主義に巻き込まれる。素晴らしい善意の活動のはずが、集金組織と言うことになっていることがある。初めから営業と見えないように、宗教やら、ボランティア組織や、環境運動の仮面をかぶっていることも多い。
昔ある組織の代表に、子供達で田んぼをやるので指導して欲しいと頼まれた。田んぼを子供がやるのは大歓迎だ。喜んで協力を申し出た。一年間、本気で田んぼをやった。山の中に新しい田んぼを作ったのだ。それは自分のための素晴らしい体験だった。
所が田んぼが終わったら、何と私も参加の会費を取られた。実はすべてはその組織の資金集めの活動だったのだ。私を参加者にして、無償で働かすためだった。指導して貰いたいなど、上手いことを言ったのだ。私は知らずに大勢の会員まで集めてしまった。自費で様々なものを購入して、この田んぼ作りを支えていた。
ところが、この組織は金儲けの仕組みだったのだ。会費を払いすぐに止めた。たちの悪い人間を見抜けなかった自分が悪かったのだ。それから善意を語る組織には用心するようになった。一見したところ、善意で出来た良い活動であっても、その善意を建前にして、金儲けが主たる目的になっている組織が珍しくない。
良いことをするにはお金が必要である。最近よく言われることだ。民主主議はお金がかかると自民党は繰返し主張する。実は欲得だけで政治家になっている本音を隠している。きれい事でお金が動いているのではない。この頃そんな活動にいくつか出くわした。SDGs 活動だから参加費〇万円と言うものにであった。
最近は農業分野でもにたようなものがあるのだ。確かに趣旨は素晴らしい。是非進めて欲しい。所が、善意の人間を騙す金儲けのための新しい手段なのだ。社会は拝金主義にまみれて行く。本当に正しい活動なら、お金など無くても広がって行く。農の会と似たような活動は全国に発生している。自分が大きくなる必要など全くないのだ。
その活動が良いとか悪いとか言えば、ビーチクリーンなどの良い活動ではある。それなら全員が奉仕でやればいいだけのことだ。所が裏にある目的が選挙の売名行為であったり、別の活動への誘導であったりする。場合によっては妙なエセ宗教というのもある。
奉仕は健全な思想に支えられたものでなければ成らない。資本主義を乗り越えなければ、人間は卑しくなるばかりだ。拝金主義者は今や居直って、正義ずらして金儲けをしている。私はそういう卑しい人間にだけは成りたくない。近づくことも嫌だ。そう決意して生きてきた。
35年前、農の会を作って以来、お金は必要なだけ平等に負担することにした。一応私が指導者ではあったのだが、農業指導のお金などただの一度も貰ったことがない。1万円の実費で120キロのお米が貰えるというのが、35年の実戦の結果である。それ以上取る活動は、能力が低いか、怪しいと見たほうが良い。
平等で無料だからこその農の会の良さがある。指導者も参加者と同じ立場だから良いと考えている。上に立つ人など居ない方が良い。農の会の活動ぐらい、ユートピアでやりたいではないか。平等とか公平はない。やれるものがやり、必要なものが貰う。資本主義はもう終わりが見えている。
これが35年前に考えたことなのだ。それ以来一貫してそうやってきた。自給自足で生きているのだから、お金がなくて困ったことはない。儲けることなど何もなかったが、気持ちよくやってこれた。ユートピアでは貧乏の方が偉いのだ。
しかし、この思想は農の会参加者でもなかなか理解されていないところがある。当然のことで、社会は資本主義で回っている。その価値観で農の会の活動を見るのだ。多く働いたから多くくれという人が現われる。そういう人にはどうぞ一人でやって下さいということにしている。人の世話になっていることが見えないのだ。
農の会は「地場・旬・自給」めざす「イーハトーブ」である。理想社会を目指しているのだ。そのことは説明もしたことがない。今初めて書いているのかも知れない。そうでもないか何回も書いたようにも思う。ともかく奉仕で出来ている。その尊さを参加者全員が認識しなければならない。
奉仕ではやれる人が限られてしまい、大変なようだが、お金など全くなくても、志があれば参加できるのだ。そして奉仕の気持ちよい関係が活動を広げて行く。35年の間に、似たような農業の活動が全国に何百と生まれた。会費のない農の会の活動の方法論は、参考に少しは成ったと思っている。
有機農業で一儲けという人が、新規就農してくる普通の時代だ。それでいいとは思うが、何しろ有機農業は広がらない。結局儲からないとやらないからだ。思想がなければ今の日本の社会で有機農業の組織は続けられない。よほどの信念がなければ続くはずがない。
金儲けとか、組織拡大だとか考える人には無理なことなのだ。有機農法でやる自給農業は思想活動なのだ。奉仕の精神を学ぶ組織なのだろう。そう言ってしまえばつまらないので、地場・旬・自給を主張してきたのだ。35年間このことだけは達成したと思っている。
石垣に移ってから5年、私が居た頃より農の会は立派に成長している。始めたものなど居なくなった方が良いのだ。これからの課題は私の知らない若い人が支えるようになるかである。なかなか難しい時代である。農の会がうまく行かなくなるとすれば、それは日本がうまく行かないと言うことだろう。
35年の間に35人くらいは新規就農者が生まれたのだろう。これは、農の会の成果だ。新規就農した人は自給農業の会である農の会から距離を持たざる言えない。それでも、農の会の活動を支え続けている人が居る。それぞれが全国で活動を続けている。農の会の志にいくらか記憶があるだろう。
今は石垣島でのぼたん農園を始めた新規就農者の一人だ。のぼたん農園の活動もあしがら農の会と同じ精神でやっている。初めて3年になる。41人の仲間が集まった。おもしろい人が集まっている。石垣島に残る伝統農業を何とか次の世代に残したいと考えている。
最近水牛牧場をやろうと言うことになった。トゥリーハウスは来年は具体化することだろう。インスタントハウスも設置したい。やりたいことがどんどん出てくる。みんながゆいまーるになれば、何でも出来るはずだ。またそれ程楽しい事はないのだ。