のぼたん農園水源の森作り

   

 水源の森予定地

 のぼたん農園の田んぼは、わずかな湧水を利用した天水田である。この湧水は先枝の集落の基になった尊い歴史ある湧水である。かつて水が途絶えたことはないそうだ。ただその湧く水量は水道の蛇口から出る水と同程度である。つまり、1時間に1㎥メートルぐらいの水の量である。

 この1時間1㎥の水が倍になったり、半分になったり、雨量によって変化している。この水の量で、2反の田んぼまで、出来ると考えて始めた。それは経験的に、見てきた2反の田んぼを維持できる水の量だ。一年間365㎥の水があれば、2反の田んぼは出来る。2反の田んぼが湧水で出来るとは夢のようなことだった。

 湧き水であるということは山からの絞り水である。山の木々に降った雨がしずくになり、地中に染み込み地中をだんだんと浸み流れ、湧き水となって岩盤の間から湧き出ているものである。田んぼをやるためにはこれ以上の水は無いと言える、尊い水である。


水源の森予定地 中央のしげみの下辺りに湧水がある。

 のぼたん農園は2畝の田んぼが10枚である。2畝が一家族の田んぼの面積だから、のぼたん農園では10家族のお米が出来ると考えて計画を立てたものである。一家族が水道でやるなら6千円の水代。湧き水ならこれはただになるが、湧き水を維持するためには、森を作らなければならない。


 全体計画では湧き水の上部を水源を守る林にしようと考えてきた。湧き水の上部は以前はパイナップル畑だったらしい。その後、パイナップル畑から、牛の放牧地になった。放牧地と言っても、その当たりはあまり管理されていなかったためかなり荒れた状態に成っていた。

 その後放牧地も止めて、耕作放棄された状態のまま3年が経過した頃、借りることになった。この湧き水を利用して「のぼたん農園」を作り、田んぼをやるためである。自由に構想して思い通りの、自給農園を作りたいと考えたからだ。その構想の中心となるのが大切な湧水である。

 湧水をできる限り豊かなものにするためには、荒れ地を林にする、出来れば森のような状態にしたいと考えてきた。そのためには苗木を探し、植林をしなければと考えてきた。所が、1年前から苗木をネットで見付けて注文しても、送ってくれる所が一つも無かったのだ。注文は出来るのだが、石垣島の住所で、送れませんとの返事がある。

 それで困っていたら、八重山森林組合に苗木があるということをのぼたん農園の仲間の圷さんが教えてくれた。トマリ木工の講習会に出たら、植林の講習を受ける日があり、森林組合の苗木を使ったというのだ。それが売られているかどうかは分らなかったが、早速行ってみることにした。

 森林組合の苗場には、立派な苗が並んでいて、売られていたのだ。ただ、植林のための苗場だから、樹種は限られていて少なかった。「やらぶ」と「センダン」にした。他には「フクギ」があるということだったが、これは成長が遅いので、水源のためには向かないと言うことだった。

 センダンは成長が早いから、特に水源林にするためには良いので前から捜していた。やらぶは石垣には至る所に防風林として植えられて居るので、これものぼたん農園には適合する樹種だろう。欲しかったのは琉球松の苗木だったのだが、これはなかったのでこれからも探す。

 あるものをともかく植えるということにして、50本ずつ購入した。200本ぐらい欲しかったのだが、まず100本にして、植えてから、又買いに来れば良いだろうと言うことになった。1本税込みで550円である。五年育てた1mぐらい高さのある立派な木だから、価格は安い方だと思うが、流通価格は知らないので良くは分らない。

 早速穴を掘り始めたのだが、土が硬くて、植え穴が掘り進められなかった。何しろ掘った穴に雨が降ったら、染み込まずにそのまま水たまりになってしまった。それ程浸透性のない硬い土壌なのだ。シャベルも鍬も歯が立たないほど堅かった。こんな土で大丈夫かと思うほどだ。

 まずススキやアメリカハマグルマのヤブをハンマーモアーでできるだけ片付けた。風が強いところだから、あまり片付けてしまうのも、どうかと思いながら、結局は3日かけて、予定地の草刈りをした。やってみると奥の方はかなりのぼたんが広がっていたのだ。

 のぼたん農園だから、のぼたんは残す必要があるので、結局半分位はそのままに残すことにした。実は奥の方の上部は植えた方が良いところがあったのだが、そこにはハンマーモアーが入れなかったので、この先整備が進んで一段落付いたらば、「琉球松の苗」を手に入れて、植えたいと思っている。これも出来れば50本。

 草刈りをした後は、植え穴掘りをした。100カ所を掘らなければならないと言うことになる。1日目は一人だったが、7個しか空けられなかった。100個は先の長い話だと思ったが、2日目は五人でやって、66個ぐらいまで掘れた。3日目はついに100個に到達した。仲間が居ることのうれしさを感じた。

 樹木は3メートル角植えにした。間をハンマーモアーが通れるぐらいの間隔にした。シャベルが潜るぐらいの深さに掘った。苗木の鉢サイズからしてそんなものかと考えた。穴には、牛糞堆肥よみがえりを入れて、シャベルで再度突いてなじませておいた。

 所々にユンボで掘った。深い穴があるので、トラックターは気をつけないと穴にはまってしまう。この穴は水が地中に染み込んで入るように、以前掘ったものだ。雨が地表を流れるだけなので掘ってみた。それでもすぐその穴は水が溜まって地中には染み込まない。

 100個掘れたので、森林組合に連絡をした。出来れば今週中に届けて貰う。だめそうなら、金曜日に堆肥を下ろして軽トラで取りに行く。届けて貰ったならば、その日に森林組合の方に、植え付けの指導をしていただく。ビデオを撮影してラインに上げて貰う。それをみんなに見て貰い、20日21日に植林作業を行う。

 森になるのは50年後のことだ。間違いなく私が森を見ることはない。植えた苗が育ち、いくらかでも水源林としての役に立つためにも、10年は必要だろう。その時ののぼたん農園をせめてみてみたいものだ。84歳か。その時作業が出来ていればたいしたものだと思うが。

 植林は次の世代のためのものだ。今現在の経済ではない。こういうことが一番置いて行かれる世の中だ。今のぼたん農園には大きなやらぶや、フクギが生えている。これは戦前ここに集落があった時代に、自分の家のまわりに誰かが植えたもののように見える。

 地域を作り上げて行くのはこうした思いなのだろう。この湧水のそばに暮らしていた人の時間に、思いが至る。崎枝には縄文時代から人は居たのだろう。崎枝赤崎貝塚は、屋良部半島東南の岬、赤崎 の低砂丘上に形成されている。

 この貝塚が土 器の出土を伴わない無土器期の遺跡であるこ とが確認された。貝塚からは石斧、すり石、シ ャコガイ製貝斧、スイジガイ製利器などが出土 した。この赤崎の貝塚に暮らした人達も、この湧水を利用したに違いない。水源を神として祭ったかも知れない。

 のぼたん農園でも水神龍を祭っている。大切なことは未来にある。未来にのぼたん農園の暮らしが、モデルになるように水源の森を作る。水神様に個人的な願いをしてはならない。願いはみんなのための願いだけというのが、日本の神様の歴史なのだ。

  

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