災害に備える心の準備

楽観主義である。まず悪い事は自分にだけは起こらないと思っている。病気にもならないし、災害にも遭わないだろうと思っている。中国が石垣島に武力攻撃をしないと確信している。そんな幸運のままに、100歳まで生きるだろうと思っている。これを認知バイアスと言うらしい。意識の偏りである。
大災害は毎年日本のどこかで起こって居る。遭遇する可能性は高い。例えば先日居眠り運転の対向車が私の走っていた車線に向かって直進してきた。まったく驚いた。これに一種の天災のようなものだろう。何とかしのいで身体は無事だった。私が無事だったのは、冷静に対処できたからだと思う。
最後の当たるときまで、最小限の衝突にするために運転をした。これは昔レーサーだった友人から言われていたことが生きた。心に備えがあったのだ。事故を避けられないとしても、最後の一秒まで、怪我を軽くする努力をする方法を教えられた。その通り冷静に運転をすることが出来きた。何かに守られているような気がした。
幸運の経験は子供の頃に3回あった。一度は高い塀の上によじ登り、そこから落ちたのだ。その塀は5mほどあり、しかも落ちた方向は崖だったので8mの落下。崖の下には鋭い巌があり、当たる位置だった。一番上に手をかけたときにそこに泥が付いていて、手が滑った。もうだめだと思いながら一瞬意識を失った。所が衝撃無く崖下にいた。
よく似たことがもう一度あった。川で泳ぎ場を作っていた。堰堤で大きな石を抱えて、移動して堰堤から下の浅い淀みに石を投げ落としていた。所が、石を放すことが出来ずに、石と一緒に堰堤から落ちた。何故かその時にその石がどこかに消えて、浅い淀みの中に座っていた。浅い水の中で見上げた夏空を今でも思い出す。
3回目はお寺の本堂で掃除をしていて、灯籠の脚の辺りを拭き掃除していると、何故か大きな鉄の灯籠が倒れてきた。これに当たればさすがにだめだ。しかしよけきれず、肩に当たった。まるで警策(きょうさく )を打たれた形だった。当たる瞬間に頭を反射的にそらすことが出来たのだ。
子供の頃間違えれば死んでしまうようなことが3回あった。何かの幸運でこの危機を無事通過することが出来た。今思えば試されたかのような気がする。運が強いのだと思うことにした。それからは特段危険と言うことも無く、やってくることが出来た。多分これからも強運だと思っている。これも認知バイアス。
自然災害は起こる可能性が高い。石垣島に住んでいるから、大型台風は来る可能性が高いと思っている。スーパー台風である。風速60mを超える台風のこと。のぼたん農園では72mの強風が吹いたとされている。風の強い場所なのだ。
非常に強い台風15号は、2015年8月23日から24日にかけて先島地方と本島地方の一部を暴風域に巻き込みながら北上した。沖縄気象台によると、石垣市登野城で23日午後9時16分、1941年の統計開始以降最大の71メートルの最大瞬間風速を記録した。 ーーー琉球新報
過去4年間台風が来ていないのは、幸運なだけだ。必ずスパー台風は来ると考えている。家は風には強いものを作った。家の場所も風がよけられる場所を選んだ。その意味で眺めは無い作りにした。天窓は5カ所もあるが、窓は少ない家である。
鉄筋コンクリートの一階建てだから、比較的地震にも強いと考えている。家が崩れるようなことは想定しなくても良いだろう。海からの標高は5m位だろう。高い場所ではないが、1キロ位の距離がある。どれほど早い津波でも、5分はかかる。冷静で居れば十分に逃げて行けるはずだ。
一事避難所に指定されている石垣小学校までは350mぐらいだ。大地震が来たら、ともかく石垣小学校までは避難しようと考えている。ブロック塀が多いので、経路は考えている。火事が起きた場合はどう逃げるかなど、想定を考えている。
時に散歩がてら自分で訓練もしている。災害の時には落ち着いて行動するように、とあるが、落ち着けるわけがない。慌てても出来るように、日ごろ練習して置くしかない。どの経路で行けば、ブロック塀が倒れて道を塞いで居ないか。道路に車が居ないか。火事が発生した場合どうするか。あれこれ想定して、訓練をするしかない。
先日のJALの羽田事故での脱出避難が素晴らしいものだった。あの事故で良く全員が無事脱出できたものだ。乗務員の日ごろの訓練のたまものだろう。しかも乗客が、冷静に指示されたように動いている。乗客を冷静にさせたのも、乗務員の覚悟が定まっていたからに違いない。
JALのいつもはまるで淑女のような物腰のスチュワーデスさんが、厳しい声で指示をしている音声が流れていた。あれを見て、飛行機で何かあったときは従うことが一番安全なのだと言うことがよく分かった。誰もが勝手な行動を取らなかったから、助かったのだ。
災害に於いては、心の置き所が、何より大切だ。私の場合は大丈夫だという、認知バイアスがあるから、危険と考えるのが遅れる可能性が高い。大丈夫であっても、ともかく小学校まで逃げると言うことは、決めておかなければだめだろう。
巨大台風の場合はどうなるか。台風は突然来るわけではない。家で十分に備えて、閉じこもるのが安全。風で被害は受けるかも知れないが、命に関わるような家の崩壊にはならないはずだ。しっかりと準備して、外に出ないことしかない。のぼたん農園が心配ではあるが、見に行かないのが一番の安全。
台風でも地震でも食糧の確保はしておく。のぼたん農園にも非常食は確保している。のぼたん農園でも避難できるようにすべきだと思っている。水は湧いているので、緊急避難には向いている。シャルターを作るのも良いかもと思っている。
農地であっても、緊急避難のシェルターは許されるのではないだろうか。建築許可が無くともシェルターの場合は特例ではないか。何しろ、市民の意思を無視して、ミサイル基地を誘致したのだ。それに対して、住民が自己防衛するのを許さないとしたら裁判で対抗しよう。
市長は中国からの攻撃があるとして、避難訓練をしている。しかし、九州まで避難するのは却って危険だ。それを前提として、中国の攻撃を避けるためにシェルターを作るのは、住民の命を守る権利ではないか。自分が安全だという場所に、防空壕を作ったのは第2次世界大戦である。防空壕に建築許可は無かっただろう。
シェルター建設を冗談でなく考えている。戦争は災害ではない。政府がだめだと起こるものだ。早急に政府を変えなければ、危ないものだ。