コロナにかからなかった幸運。

ここまでは幸運にもコロナに感染しなかった。ありがたいことだ。ワクチン注射は全回打ってもらった。無料で打ってくれたので打ったのだと思う。有料なら打たなかったような気がする。効果があるのかないのか分からない上に、注射で悪い反応が起きた例がある。それでも無料ならまあ打つかと言うくらいだった。藁にもすがるという気分もあった。
過去に他のワクチンというものは、小学校の頃に打った、BCG結核予防ワクチンである。フランスに居た頃結核になったらしい。フランスでは熱と咳が続いたが、病院にも行かなかった。戻って日本で病院に行きそう言われた。重症化しなかったのは、子供の頃のBCGの御陰かと思った。
他には多分ワクチンは打ったことは無い。基本的に訳の分からないものを、自分の身体に入れるという不安が大きい。だから薬というものは飲まない。昔は風邪を引いたこともあったが、薬を飲んだことは一度も無い。風邪など自己治癒力で治すものと考えてきた。
コロナワクチン注射で体調を崩した人もかなり居たようだ。どうも死んでしまった人も居るらしいので、これには驚かされた。しかし、統計を冷静に考えて、何千万分の1の話は気にはならない。私の場合に限れば、まったく副反応がなかった。理由は分からないがそれもまた有り難いことだった。
打ったところが痛くなると言うようなことすら無かった。後は次回有料になっても打つかどうかである。その時の流行の状況で判断しようと考えている。もう世間ではマスクをしている人は少数派だ。私は今でもマスクはしている。多分人混みの密室では、死ぬまでマスクはしていそうだ。
ワクチン陰謀説のような、おかしなデマが広まったのも、パンディミック社会では起こり勝ちなことなのだろう。ワクチン注射で何かが身体の中に埋め込まれるというような馬鹿げたデマすらあった。あのとき、エセ科学の教祖のような、トランプが感染した。そして自慢げに例の踊りを踊った。ある意味陰謀説が打ち消せたのではないか。
東京にも毎月行く。混んだバスも、飛行機も、電車も乗る。感染リスクは普通にあったのだと思う。だから人一倍用心してきた。もちろん今でもそういう場所ではマスクは必ずしている。最近マスクをする人は減ったから、マスクによる自己防衛はさらに必要になっている。
一度、感染した人と食事をしたことがあった。翌日電話がかかってきて、感染したのでお知らせすると言うことだった。しかし、一緒にいた人はワクチン注射を打っていたためか、誰も感染しなかった。この体験で、ワクチン注射の効果があったのかも知れないと考えている。
マスクを外さなければならないような場所には、滅多なことでは入らない。レストランはよほど気をつけている。できるだけ空いていてお店が良い。テラス席があれば必ずそうする。コロナ後はテイクアウトをよく利用した。美味しいお店がテイクアウトしてくれたのはありがたいことだった。
家に帰ればまず風呂に入る。手洗いうがいよりも効果があると思っている。コロナだけではないと思う。外から家に何かを持ち込まない方が良い。野外ではマスクはしていない。一度もしたことがない。もちろんコンバインなどを使うときにはマスクをして作業はする。
あのコロナ流行の当初は海に行くのも行けないなどと、石垣市では海の駐車場が閉鎖された。本当に馬鹿げている。海に居る人に海水浴を止めてくださいと、車で叫んでいた。こうした間違った行動が至る所に存在した。過剰防衛もまた心身に良くない。
野外で感染するという不安は、まったく馬鹿げている。あの海の広い空間で感染するなど滅多にあることではなかった。逆に言えば、今でも密室空間は感染する可能性がある。声を出すような密集は今でも感染リスクは高い。そういう場所には今でも行かない。
泡盛で体内も消毒して、よく寝る。これは冗談だが、泡盛会社がアルコール消毒液を作った。気分良く暮らす事も免疫力が高まる。不安は免疫力を下げる。コロナなどに絶対にならない。強い気持ちで暮らすことも免疫力を上げる。これで防衛はそれなりに高まる。後はコロナの攻撃力がどれだけあるかだろう。
中国はこのウイルスを実は早くから把握していたことが分かった。秘密裏に抑えきろうとしていた。これが裏目に出て世界的な蔓延に繋がったのだ。もしかしたら、上手く抑えきった経験もあるのかも知れない。独裁政治というのはこういう所が怖い。
あの中国の都市封鎖は何だったのだろうか。中国という独裁社会の内実が浮かび上がる。中国では当然かも知れないが、一番早くコロナウイルスのゲノム解析が出来ていた。それなら世界に対してその解析結果を、早く発表すべき事だ。公表しないで、ワクチンを自分たちだけで製造しようとしていたのか。
所が結局発表しなかった。後でそれがばれたのだが、ウイルスの実体は未だによく分からない。WHOの調査団も結局の所、明確な原因は分からないままで終わりである。私はミンクの養殖場から発生したものだと、想像している。ミンクが感染することははっきりしている。
そもそも、ミンク養殖というものは、劣悪な環境で行われている。野外にゲージが並べられ、何層にも詰まれている写真を見たことがある。衛生状態は最悪である。最も過酷な動物虐待の事例だ。世界では毛皮は着ない運動がある。当然だ。今や中国はミンクの主たる生産地。
病原性の低いコロナウイルスを持った、野生のコウモリやサルなどからミンクが感染する。ミンクの間で感染の何千の連鎖が起こる。感染の連鎖の中で、高病原性のウイルスに変異した。その変異の結果人間にも感染しやすいウイルスに、なってしまったのではないだろうか。
何故か大規模畜産のウイルスの変異の危険が、注目されない。欧米人が、畜産が好きな性だろうか。大規模畜産は止めるべきものだ。ウイルスの変異の要因は大規模畜産にある。鳥インフルエンザの高病原性ウイルスも養鶏場内で起きたと考えた方が合理性がある。
次のパンディミックも必ず起こる。大規模畜産が止められない以上、ウイルスの変異は繰り返される。新しいウイルスがまた出現する。コロナウイルスも人間の間の何千万という感染の連鎖で、新しいウイルスに変異を続けている。これが収まるためには数十年必要なはずだ。
中国が賢明な国であれば、大規模畜産を止める選択をするはずだ。そんなことを言う学者が現われれば、多分収監されてしまうのだろう。やはり、コロナを乗り切るためには、年寄の外出禁止であった。コロナの流行当初に、イスラエルの学者がそう主張した。しかし、それを世界中がやれないに違いないとも、その文章にはあった。
今になってみれば、その学者の主張通りであった。人間が冷静に科学に従い、行動をすることが出来るのであれば、65歳以上の人間の外出禁止だけで、その他の社会活動はそのままで良かったのだ。この間の若い人達が取らされた行動制限は間違っていたのだ。
そうすれば八重山高校の野球部は甲子園に行けたのだ。間違った判断で若者が被害者になった。マスクマスクで、同級生の顔をよく分からないで、卒業するという、中学生の嘆きは誰の責任だったのだろう。成長期の人間にとって、様々なものが失われたはずだ。そう青春が失われたとすれば、哀れだ。