米価もくろみ外れて高止まり

米価がいくらか高くなり、米作り農家が希望を感じている。しかしこの程度の値上がりでは、稲作農家が増加するとも思えない。所がこの程度の値上がりでも、世間でも、農水省ですら困ったことだと考えているというのだ。この「もくろみ」とは朝日新聞の意見だが一体何だ。
世間では労働者の賃金を値上げしよう。大手企業だけではなく、中小企業の賃金も値上げしなければならないという流れだ。一体稲作農家の賃金は上げはなくていいというのだろうか。稲作農家の収入が適正なのか、まだ安すぎるのか、検討してみる必要があると思う。
まずその前に、日本の安全保障のために、軍備費は倍増するといわれている。そうしなければ国の安全が保ていないという考えのようだ。国の安全保障を考えると軍備よりも、食糧の確保の方が優先されなければならないと、私は考えている。政府も同様の考えを表明している。
食糧自給率をせめて60%を超えるところまで持って行く。このように長年目標を掲げている。目標を掲げながらも、食糧自給率は38%というあたりに下げ止まりである。こんなに自給率が低い国は滅多にないのだ。この間ウクライナ戦争が起こり2年。世界の食糧流通は年々厳しくなっている。
経済戦争には、すでに日本も巻き込まれかけているのではないか。アメリカは一国主義を表明している。中国からの輸入品に関税をかけて、戦おうということを表明している。日本もすでにメキシコ生産の車など、巻き込まれているといえる。
車が売れないならまだいいが、食糧が不足したときにどうするというのか。スーパーに米がないというときに騒動があったことを忘れたのだろうか。米がなくても備蓄米は出さないと農水省は頑張った。所が今になって、備蓄米を放出するというのだ。これがもくろみが外れたという意味らしい。
どうも政府は小手先の対応しか考えられないようだ。米の適正価格とは農家が減少しない価格ではないだろうか。企業の初任給が値上がりするのは人材確保だろう。稲作農家をやりたいという人が現れる米価では、まだないと思うが。
世間では盛んに言われるように労働者不足なのだ。そして、稲作農家は減少し続けている。稲作農家では外国人労働者を雇用は少ない。雇用できるほどの収益がないのだ。外国人労働者は野菜農家と畜産関係が多い。稲作農家が経営できなければ国の安全保障はない。
これ以上稲作農家が減少すれば、食料の安定供給は不可能になる。何しろ稲作農家の平均年齢は70歳を超えているのだ。団塊の世代がかろうじて日本の稲作を支えているのだ。年金があるから継続できるという人が多いはずだ。退職して稲作を中心に働いている友人は何人もいる。
ところが、その貴重な国の食料を支えている友人たちが無理になって来ている。病気話ばかりだ。それはそういう年齢なのだから仕方がない。そして若い人が変わってくれる条件がない。子供にはやらせられないと普通は考えている。この状況を危機だと考えないのだろうか。
「米価はもくろみ通りの高止まり」 と農水は考えていると思ったのだが、そうでなかったのだろうか。ここで備蓄米の放出とまるで日銀の総裁のように口先介入をしたようだ。途端に米相場は値下がりして、また戻したらしい。どうも、米相場を操る輩がいるようだ。
この問題は政府が米価から距離を置いたときに言われた、米相場がまた問題を起こすだろうという予測が当たり出しているように見える。為替相場と似たようなことが起きているのだ。思惑で価格を操作している人がいる。こういうことは米作り農家とは関係のない話だ。
米作り農家にとっての価格は、来年またやれるという価格である。この値段ならまた来年も田植えをしようという価格である。これは田中角栄氏が主張した米価である。生活できない米価では、もう止めるほかない。続けられないという農家が多いのだ。子供につがせられないという稲作農家が多いのだ。
地方の消滅が止められないことの一番の原因は、地方では経済的に苦しいということだ。生活ができるのであれば、都会よりも地方の方が好ましいと考える人が多い。若者が都会に出るのは、田舎にキャバレーがないからだといったのも角栄さんだが、こっちは間違えだ。
地方の社会の根底に稲作があれば、地方の暮らしは維持される。専業農家でも、兼業の稲作でも同じことなのだ。友人らは教師をやりながら稲作をやっていた。今は年金があるから稲作を続けられるのだ。地方に仕事があるならば、兼業もできる。稲作は兼業農家向きの仕事なのだ。
土日休みならば、3町歩くらいまでの農家ならば可能なのだ。そういう形で現実には多くの農家が運営されてきた。そして、大きな企業的農業法人が稲作に参加してきた。企業的農家が経営できる米価これからは重要である。企業的農家は独自の販売手段を持っている。
だから販売価格が先にあって、生産することになる。飲食チェーンというほどでなくとも、街の飲食店や弁当屋さんであっても、平均で一日10キロ使うぐらいのお店が普通のようだ。3軒あれば年間10トンを超えることになる
。2町歩の米作農家の生産量だ。
。2町歩の米作農家の生産量だ。
病院や学校給食そして工場などの社内食堂。ホテルや飲食店。直売方式でも、小田原の稲作は小田原の消費で見合うことになる。石垣島の事情は私にはもう一つわからないが、5万人の人口である。観光客も多い。一人が60キロ食べるとして、3、000,000キロは消費されているはずだ。
3千トンは600ヘクタールの田んぼの生産量である。318ヘクタールが石垣島の田んぼ面積である。つまり島内消費量でも足りないということになる。島でとれるお米を島内でうまく流通させることができればいいということになる。石垣のお米はむしろ島外に出て行くらしい。
流通については私にはわからないことだが、自分が作ったお米を自分が食べる。こういう形を模索すれば、石垣の田んぼは維持されるということがわかる。田んぼが維持されることの価値を考えれば、石垣島では、非農家の人が、田んぼに関わる仕組みを増やしてゆくことではないだろうか。
318ヘクタールのうちの1割。32ヘクタールの田んぼを非農家の市民が耕作する。人口の3%の1500人は田んぼに興味を持つはずである。どんな変わったことでも、3%の人は興味を持つものとされている。一人が2畝の田んぼをやれば、32ヘクタールの田んぼは耕作できる。
9割の田んぼは企業的農業法人に任せればいいだろう。10軒の企業農家が出てくれば、耕作できることになる。そちらの方は私とは別世界だから、お任せするしかないが、1500人の市民農に関してはすでに始まっている。のぼたん農園を5年前に初めて以来。すでに石垣では市民稲作が始まっている。
一カ所10人くらいだとして、150グループが誕生すればいいわけだ。様々なグループが可能だと思う。そして緩やかな連携をとれば、効率が上がるだろう。止めてゆく小さな田んぼを、市民農が引き受けてゆくことではないだろうか。そのためには機械の貸し出しなど、行政が行う仕事もある。コイン精米などどこかのスーパーが初めてもらいたいものだ。