縄文時代と江戸時代

   



 関心のある時代は縄文時代と、江戸時代である。停滞した社会であり、持続可能な社会ということになる。縄文時代のことは余りよく分からないので、イメージとしての憧れだけだが、江戸時代のことはそれを真似て暮らしてきたので、体験化している。

 いま国連で言われているSDZsということで、石垣市も市行政が取り組んでいる。実際には行政は一時代前の大規模観光開発に躍起になっていて、持続可能な観光とはほど遠いい状態である。自然を破壊してゴルフリゾートを作ることのどこかが、持続可能なのかと驚くばかりである。

 本音では経済優先で大規模な自然破壊の土木工事がしたいのだ。それで土建業が儲かるからだろう。大規模公共事業が最優先というのが石垣市の方針であるのに、なんでSDZsなのかと不思議な気がする。たぶん目くらましに名前だけ取り入れたのだろう。

 なにしろ、水田農業が取り上げられていない計画案だ。担当の方にそのことを、質問として話したのだが、まったく反応が無かった。そんなこと聞いてないモン。担当職員自身が考えて立ち上げた形跡が無い。コンサルが書いてくれた計画案を、説明する係なのだから、急に書いてないことを言われてもこまチャウ。

 食糧問題は持続可能な社会の基礎的なものだ。どのように食糧を確保するかが縄文時代も、江戸時代も、最優先事項だ。ところがいまの日本では永続的社会というと、急に自然保護というようなものがでてくる。つまり、工業化された社会の罪滅ぼしが、自然保護活動への貢献。

 温暖化対策などと言っても、まったく期待薄である。経済成長が最優先であり、その永続性の無い状況をどうごまかすか程度の、持続可能な社会なのだ。必ずひどいことになることは、だれもがうす薄感じているだろう。今の消費社会を享受しながらでは無理なのだ。

 食べたいものを食べて、やりたいことのやり放題で、持続可能な社会など無理だ。暮らし自体の見直しが出来ないのであれば、持続不可能なのだ。これは我々戦後世代の責任である。こうなることは70年には分かっていた。分かっていたのに、とめられないまま今に至った。いま60歳以上の世代の全員が責任を負わなければならない。

 死んでお詫びというわけにも行かないので、持続可能な世界の提案をしたい。江戸時代を戻ろうということだ。縄文まで戻れればそれはあるのだろうが、それは無理としても、江戸時代なら何とか想像できる。ところが、江戸時代を封建主義時代として、克服されるべき時代ととらえられる。

 それは明治の富国強兵思想のシッポを、未だに引きずっているためだろう。石原慎太郎やら、三島由紀夫など、最近では橋下維新党である。結局の所武力以外信じられない人達なのだ。権力志向の人達の行き着くところ、ヒットラーからプーチンまで、人類は愚かにも成長が出来ない。

 持続可能どころか、正義のためと称して、平然と人殺しをしている。戦争犯罪人などと言うが、すべての戦争が犯罪である。第2次世界大戦の反省をまったく出来ないい人ばかりだ。弱いものは武力で押し倒せばいいと妄想する権力者。

 ウクライナの戦争で分かったことは、武力国家ロシアにしても、武力小国のウクライナの自衛的戦力を突破することは容易ではないと言うことだ。ウクライナ人のすべてを殲滅する以外に支配などできない。戦争は膠着する。ロシア国内が収まらない。

 つまり、大量破壊兵器の使用である。原爆の投下。生物化学兵器の使用。まさかそんなことは不可能と思いたい。リーダーをとらえて、傀儡政権を作ろうとするのだろうが、それもさすがに無理だと思いたい。持続可能どころか、人類はそう遠くなく滅びそうだ。

 武力によっては、何も解決が出来ないと言う事である。戦争が無意味な行為である事は、国際紛争を少しも解決などできないからだ。もし、クリミヤや2地域のロシア系住民の地域がロシアに正式に帰属したとして、それが何かの解決になることはまっくない。

 人間の怨念だけが、世界中からロシアに向けられるのだ。人殺し国家ロシアの汚名の前に、ロシア人は生きて行くことになる。どれだけの不利益を被ることになるだろうか。領土を増やしたところで、何も恩恵など無い。

 ロシアの兵隊が、ウクライナに侵攻すれば、ウクライナ人から救世主として歓迎されると言われていたと語っていた。まさかそんな馬鹿なことはあり得ないことだと思っていたが、どうもそれがロシアの兵士の頭の中らしい。そんな世界情勢の見えない兵士達で構成されているのが、ロシア軍なのだ。

 洗脳されているというならまだしもで、そうとしか考えられない情報の状況がロシアの中にはあるらしい。だから、ロシアでは反プーチンののろしが上がらない。世論調査ではプーチン支持率がどんどん上がっているという。事実とすれば、怖すぎる社会状況である。

 日本でも大差が無いと思われる。琉球列島に軍事基地を作れば日本の安全が高まると考える人達が多数派なのだ。安全のために、敵基地攻撃ミサイル基地を作れば、何とかなると考える方がおかしい。ロシアがウクライナでやっているように、どんどんミ
サイルが撃ち込まれるだけなのだ。

 ウクライナが抵抗できているのは、国民が一致協力して抵抗しているからだろう。そのために国民の意志で国の安全保障が構築されなければならない。石垣市長のように、一つ覚えのように、国防は国の専権事項であるので、市民は何も言えないというであれば、自衛隊にお任せだけなら、誰もがすぐに白旗を揚げるだけだろう。

 国の安全保障こそ、民主主義的に構築される必要がある。その第一が、食料の確保である。日本のように40%に満たない食糧自給率では、食料を遮断すれば、日本は自滅するほか無い国だ。何も武力攻撃をするまでもなく、国の尊厳が失われる。

 ウクライナが頭にあるので戦争のことになってしまうが、日本の永続性は水田稲作にあると言うことだ。折角石垣島には水田がある。水田が減少すると言うことが、水資源を失うと言うことになる。石垣島に水を溜めておくためには水田の維持なのだ。わずか、水道の蛇口から出る水の量で、10家族の食糧が生産できるのだ。

 水が無くなれば、人の住めない島になる。ゴルフリゾートで大量の地下水を汲み上げれば、石垣島の水資源は枯渇する。ゴルフリゾートの下に当たる水田は他から、高価な水を引っ張って来て使うことになる。こうして、水資源が失われ、稲作の経営が困難になる。廃業が増えて、水田が放棄される。

 石垣島では年々水田の耕作面積が微減している。耕作者の年齢を考えると、今後水田が継続されるためには、大規模化している農業法人か、自給的農家に二分されて維持されると思われる。水田を維持する意味を再認識しなければならない。水田農業こそ、永続性のある社会の基礎となるものだ。

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