石垣島住民投票は裁判で敗れた。
なんと言うことか、未だに信じられない。石垣島住民投票は裁判によって出来ないことになった。8月27日に那覇地裁で開かれて、住民側が敗訴した。敗訴と言うより判断をしないと言う判決であった。いわゆる裁判の提訴の仕方が、おかしいので判断できないという、門前払い判決である。
何というひどい裁判であろうか。世も末である。住民の権利がないがしろにされた。民主主義はどこに行くのか。これは中山市長の独善を認めるという判決である。市長のリコール以外に道はなくなった。判決理由は住民投票を行う条例がないからだそうだ。それは条例の不備と言う議会と市長の責任である。
市長と議会の準備した形の整わない条例に踊らされた市民の権利はどこに行くのだろうか。4割の市民が自衛隊基地の是非の住民投票を希望した。この希望はどこに行くのだろうか。
議会の多数派の賛成がなければ、住民投票が出来ないというのであれば、そもそも住民投票などいらない。多数派の意見を問題だとするから、住民投票が要求されたのだ。議会の判断や市長の判断は国の専権事項だから、拒否できないという程度である。これではこの島に住むすべての住民の権利はないがしろにされてもかまわないと言うことなる。
住民投票をしないで自衛隊基地建設は進んでいる。住民投票をすれば、大多数の市民が反対だからだ。住民は間違いなく自衛隊基地を望んでいない。多くの住民が、自衛隊の的基地攻撃ミサイル基地が出来ることで、石垣島の安全は脅かされると考えている。
軍事基地とはそういう物であろう。米軍の沖縄基地はアメリカの安全の為に、沖縄の棄権をないがしろにしたものだ。それほど軍事基地が作りたいのであれば、国会議事堂に作れば良い。まさに国の専権事項だ。何故、沖縄の軍事基地負担を増して行かなければならないのか。
どうしても尖閣諸島が心配ならば、八重山諸島にもある無人島に作れば良い。何故石垣島の信仰の山である、於茂登岳の山腹に作らなければならないのか。まして島にとって命の水である水源地帯である。これほど理不尽なことが住民の意思を無視して作られて良いはずがない。
この島で暮らす住民の意思が表明すら出来ない状況で自衛隊基地建設が進み、市有地が販売されている。これは民主主義の明らかな軽視である。島の未来はどうなるのだろう。観光とその関連産業で島の活性化を進めようとしていた方向は、これで大きく後退する。
以下八重山毎日新聞の記事である。
地裁「対象にならない」「不当判決」、控訴含め検討
【那覇】石垣市住民投票を求める会(金城龍太郎代表)のメンバーら30人が市に対して自治基本条例に基づく平得大俣への陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票の義務付けを求めた訴訟の判決が27日、那覇地方裁判所であり、平山馨裁判長は住民投票の義務付けが訴えの対象となる処分に当たると解することはできないとして却下した。原告側は「不当判決」として控訴を含め今後、対応を検討する。
訴訟は、市長の実施義務を規定する自治基本条例28条4項の解釈や住民投票実施の処分性などが争点となっていたが、判決では解釈に対する判断をせず訴えを退けた。
処分性について判決は「その行為によって、国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められたもの」と定義。
原告側は「市長らに結果を尊重すべき義務を生じさせ、市の有権者が政治的意思を表明する法的地位を獲得するなど法律上の効果を有する以上、処分性はある」、市側は「住民投票の実施は一般的行為だから処分性はない。仮に実施されたとしても結果は何ら法的効果はなく、市の世論調査と大差ない」と主張していた。
平山裁判長は「市長による規則等の制定や住民投票の執行は、いまだ直接個々の市民の権利を形成する法的効果を生じさせるものとはいえない」として義務付けの訴えの対象となる行政訴訟法上の処分に当たらないと判示した。
自治基本条例28条4項に基づく市長の実施義務を巡る「所定の手続き」について、原告側は「規則等の制定」にあたり、条文によって義務付けられていると主張したが、平山裁判長は「規則等の制定自体は住民投票実施に先立つ規範定立行為にとどまり、一般的、抽象的な法的効果を有するにすぎず、処分に当たらない。義務付けの訴えの範疇を超えているといわざるを得ない」と指摘した。
■「市の主張が認められた」中山義隆市長
住民投票義務付け訴訟の判決について中山義隆市長は27日夕、「市の主張を全面的に認めてもらったものと考えている」と述べた。
「もともと地方自治法に基づいて手続きしたもの。1万4000人余りの署名が集まったことは非常に重く受けとめているが、法律に従った手続きとして議会に諮って、議会で否決されたので実施できないという判断。今回の判決は(市の)法令に従っての手順を適法だと認めていただいたと考えている」とした。
判決が自治基本条例の解釈に言及していないことから、主張が否定されたわけではないとした原告側に対し、「裁判を起こすことが不適法ということなので、原告の判断は判決からすると合わない」と疑問視した。
一方、住民投票については「国防に関する案件を一地方自治体の住民投票で決するというのはふさわしくない。住民投票自体を否定するものではないが、石垣配備を行政が判断するのは適さない。今後も私がこの件に関して住民投票を発議する考えはない」と従来の考えを示した。
判決はまるで住民投票という物の、民主主義的な意味を評価していない。いわば、住民投票結果が基地反対であったところで法的な意味が無いのだから、住民投票をしなければならないというような意味が無いと延べている。
確かに中山市長の主張するように、国の決めたことに住民が口を挟む権利がないと言わんばかりの判決である。これはあきらかな間違いである。住民が反対であるにもかかわらず、基地を作ることは出来ない。それが民主主義国家の基本である。
今後は市長のリコール以外にない。住民投票が出来ない以上、市長リコールで住民の意思を表明すべきだ。それ以外に道は残されていない。ミサイル基地の島になるか。観光の島になるのか。大きな選択である。