藤井壮太の将棋はどこが違うのか
アンティチョークの華 渡部さんが庭に植えてくれた。初めて花を見た。アザミを大きくしたような色の花ですさまじい感じがした。
藤井壮太七段の将棋は見ていて面白い。今までの将棋とは違うからだ。子供のころから将棋は見てきた。将棋世界を毎月購入していた。今月の順位戦はどうなっているかとドキドキしながらページを開いたものだ。週間将棋が出来てからはそれを買う事もよくあった。
それを思えば、いまはネットで将棋の勝ち負けがすぐわかるのだから、様変わりである。アベマテレビでは解説もないまま、将棋を流している番組もある。観戦だけで十分に面白い。その中でも藤井壮太将棋は特別に面白いのだ。特に、コロナ自粛明けの将棋は一段強くなっていた。まだ17歳だから、成長が大きい。
長い将棋観戦のなかで、面白かった将棋はまず大山将棋である。あの頃は棋譜を見て並べて楽しんでいた。棋譜を読むだけでも頭の中の将棋を動かし、将棋世界が読めた。。今は頭の中での全局の再現は出来なくなっている。若い頃はそれほど将棋ばかり考えていたのだろう。電車の車両で、いつの間にか人間が駒になっていて、次の手を考えているようなことさえあった。これはとうぜん自慢ではなく、だめな奴だなぁー。ということである。
大山将棋は他の人と違っていた。鋭い手が指されるというより、構想自体が一段大きかった。そして次に面白さが変化したのが、羽生将棋の登場である。ここで将棋の何かが変わった。今でも羽生永世7冠は強い。罠が張ってあるような将棋がじつに新鮮だった。それまでの定石で先手良しとなっているような棋譜に誘導する。
羽生自身が負ける道に進んでいるかのように見える。ところがその不利場面を切り返す手を見つけ出しているのだ。気が付いた時には大逆転が起きている。それが羽生マジックと呼ばれた。どんな不利場面であっても、相手が落ち込む可能性のある手順に進む可能性を捨てないで、罠を仕掛けようとする。
そして、もう一度将棋をひっくり返してくれたのが、藤井将棋である。藤井将棋は読みの徹底である。読みの量が人の数倍あるのだろう。他の人より間違えが少ないのだ。将棋はそもそも、敗因のあるゲームである。どれほど強い人も間違えて負けている。勝因ではない、敗因のゲームだ。一見勝者が素晴らしい手を指してそれが勝因に見えるが、実はその前の敗者の手が敗因であったという事が多い。
藤井将棋は間違えが少ない。他の棋士が1手間違えれば、その間違えをわずかずつ広げてゆく、そして藤井7段は間違えない。その為に終われば素晴らしい妙手があったわけではなく、勝利している。読みの深さと正確さが他の棋士よりもずぬけている。
ただ、それが欠点にもなる。自分が読み切り相手を寄せきれないと判断すると、攻めに出れなくなると見えることがある。大山将棋のように相手の間違うのを待つような感じがない。罠のある攻めを仕掛ければ、相手が間違う可能性もある。しかし、ダメだと読み切ってしまい、混乱に持ち込むような勝負術は少ない。
それはIT将棋の申し子という事である。だから、見方によっては人間的な将棋ではない。その見方自体が、古いあたまだからかもしれないが。人間は間違うから人間なのだ。藤井登場前の将棋はどちらの間違えが決定的であるかで勝敗が決まっていた。最後の間違いが敗者になると言われていた。誰だって間違うが、最後に間違えれば、逆転され負けてしまうのが将棋。
将棋は中盤まで必ず先手有利である。同じコンピュターソフト同士で戦えばほとんどが先手が勝者になってしまう。そう遠くなく先手必勝が証明されるのではないかと考えられる。5目並べは単純に先手必勝が証明されている。そうなればもうゲームとしては成り立たなくなる。
囲碁は明確に先手必勝なのだが、先手にはハンディとして5目半という条件が付けられていた。ところが、それでは先手が有利と言うので、6目半になっている。ところが、IT碁では7目半のハンディが適当という事らしい。碁の方がゲームとして終わりが遠いという事だろう。
将棋は先手必勝の棋譜をITがいつか作り出すことは間違いがない。だから、藤井将棋の先手は注目だと思う。もちろん今の藤井将棋はまだまだその領域には遠い。ただ、コロナ自粛で2ヵ月の休みがあった。この後藤井将棋がどうも一段強くなった。
藤井7段は自粛を生かしたのだ。たまたまできた空白期間に、読みの力を向上させたように見える。こんなことが出来たのは、藤井7段がまだ17歳の伸び盛りだからだろう。間違えが減少した。少なくとも最後に間違う事がなくなったてきた。以前はそれでも、終盤の読み落としがあった。ところが今はそういう事がほとんど見られない。
終盤まで5分で進むのが、藤井勝利の道だった。寄せ勝負になれば、藤井の方が強い。特に両者1分将棋に入れば、藤井は自信があるのではないかと思われる。だから、中盤辺りで、とことん読んでいる。いくつかある大きな筋道を読み切ろうとしている気がする。
将棋は中盤一方的な勝負に見えても、不利な方が難しい混乱を仕掛ける。そして逆転をすることがままある。羽生将棋までの将棋だ。ところが、藤井時代の将棋は、中盤以降の局面の複雑化に混乱することが少ない。詰みまで読み切る局面が他の人より少し前の場面のようだ。
そして、最後の一分将棋では相手の倍は読み切る力がある。それは詰み将棋選手権で3連勝で分かる。圧倒的に読みが早いのだ。これは天性のずば抜けた能力を磨き上げたとしか言えない。しかもまだ17歳でその能力がさらに今伸びているのだ。
伸び盛りの棋士がトップ棋士になったのだ。こういうことは過去ないことだ。新しい将棋を生み出しているのだから、新鮮である。IT将棋の申し子だとすると、次に登場する強い少年はさらにIT化した将棋になるのだろう。
そして将棋はある意味終わるのだと思う。いまでもインターネット観戦ではITは次の一手を表示している。それが棋士より良い手であることが多い。ITの手段が良いとしても、人間の感覚ではそれが使えないという事がある。
ITは詰みまで読み切りその手を割り出しているのだが、その読み筋は人間とは違う。今のところその読みは間違っていることがままある。ITの間違いは終盤に近付くにしたがって少なくなってゆく。詰みまでの手数が短くなれば、なるほど読み切りやすくなる。藤井将棋も同様である。
将棋というゲームが終わりになってゆく最終過程に、藤井将棋が必然的に登場してきたのだと思える。この最後のせめぎあいが見ていて面白い先手必勝の結論まで、あとどれくらいなのかという事に興味がある。ディープラーニングが取り組めば、案外早く結論は出るのかもしれない。