資本主義が終わる風の匂いがする。
石垣島大里の田んぼ、去年今年と同じ場所で描いている。いつも思うのだが、このすすきは、昨年同様に全く間違っていない。人間はこんな見事な線は引くことはできない。自然というものは、誠にすごい。
そう思いながら、実は間違った線というようなものはどこにもないとも思っている。間違っていると考えているのは、自分の判断というものに過ぎない。自然は受け入れるだけだ。自分が引いた線は人の意図である。自分の考えが気に入らないというに過ぎない。自然は摂理であるから、意図がないことになっている。
人間というのはどうしてこうも間違うのだろうか。株価の正当なところまでの下落を、日銀と政府はひたすらつり上げようとする。するとそれに便乗しようと多くの投資家が群がる。この浅ましさは何なのだろうか。競争の果てという場所はそういうものだろうか。国家資本主義と国を超えた巨大企業の競争。コロナに便乗した経済の戦争が激化するだろう。
資本主義がいかにも苦しげなのだ。コロナで人間の生産活動が鈍った。一見一事休戦のように見るが、下り坂であればあるほど、人間の本音がむき出しになる。ここで大切なことは世界の経済がどう変わるのかの、正しい予測をすることである。
この様相は資本主義の終わりを感じさせる風だ。資本主義が永遠のものだと思ったら大まちがいだ。能力主義競争を是とする時代は遠からず終わる。当たり前のことだ。この当たり前をきちっと予測して、自分の生き方に反映する。コロナもそうだが、自分が予測をできれば、受け入れ準備することができる。
世界は株価同時安が起きている。リーマン危機以上の規模だと言われている。今回は資本主義の終焉への歩が見えるような、深刻な事態に突入してゆくのだから、相当のことになるだろう。世界は一度停滞期に入る。その停滞は先進国の方がより深刻なことになるかもしれない。資本主義が徹底されているからだ。
そして、又この次に訪れるだろう、新型ウイルスの登場にはもう現代文明は耐えられないのかもしれない。文明というものは一度崩壊しなければ戻ることができないものなのかもしれない。そう原発事故の時にも考えたが、あのとき日本人は何もできなかった。今になれば、新型ウイルスは予測されていたと言うことが分かる。しかし、その予測を受け入れられないのだ。
豊かさを求めて、強いものが有利な競争が激化している。敗者は能力がないのだから、隷属することも仕方がないという文明。廃棄処理法がないままに、原子力にしがみつく姿をみれば、競争に勝つためには将来の行き詰まりは棚に上げざるえないという判断であることが分かる。世界の深刻度はいよいよに高まっている。
今回の株価の暴落は新型肺炎のためと考えられているが、これは無理矢理つり上げられてきた株価が、コロナショックをきっかけとして暴落したと考えた方がいい。政府はあらゆる手段で株価を高止まりさせている。今や株式投資は政府の動きを見る便乗である。
以前から16000円くらいが実体の株価だろうという意見は多かった。アベ政権はアベのミックスを成功していると見せかけなければならなかった。何も新しい産業が創出できない現状を隠してきた。資本主義の、競争主義の限界なのだ。日本が国際競争について行けなくなった現実を認められないだけだ。
日本人の意欲のようなものが失われてきているのだろう。もうむりな競争の中でやりたくなくなっているのではないだろうか。世界の経済先進国に生きる人達はみなそうだったのだろう。もうこういう競争は沢山だという思いが充満してきている。
国家資本主義の登場と、国家を超えた企業の登場。個々の人間の生活の範囲を逸脱している。経済戦争と呼ぶような状況が世界で起きている。相手を潰すところまで行こうとしてしまう愚かさ。互いに成長するという環境ではなくなっている。
新型ウイルスの登場もこうした経済競争の結果である。畜産は経済競争に勝利するために、巨大化されてゆく。中国は大きさという物に際限がない。規模がすごい。この限度を超えた畜産は閉鎖的な環境で行われている。当然、ワクチンを使い、化学薬剤を大量に投入し行われているのだろう。
自然界にはあり得ないような生き物の限界を超えた飼育法である。どこかで破綻が起きても不思議ではない。どれほどウインドレスで防御したとしても、畜産の環境は完全ではあり得ない。ネズミ一匹、ゴキブリ一匹が何かを起こすかもしれない。
巨大化した畜産の方が競争に勝利する可能性が高いからだ。勝つためなら何でもありの世界である。こうした畜産が野生動物にも影響を与えているのかもしれない。コウモリやセンザンコウが飼育場に侵入している可能性もある。巨大養豚場が危ないのではないかと想像している。豚はウイルスにしてみれば、人間と似ている。
アフリカ豚コレラが流行している中国ではブタが半減したと言われていた。それに対してどのような対応が行われているのか、心配していた。たぶん限界を超えた消毒であろう。その中で新型のウイルスが登場して来る可能性はある。検証は難しい所だろうが、大きな不安がある。
次にはさらに深刻な人間を半減させてしまうようなウイルスの登場だってないとは言えない。今ならまだ間に合う。大規模畜産を禁止すべきだ。人間の肉食はほどほどにすべきだ。たぶんそれができないということが、資本主義は限界を迎えていると言うことなのだろう。
巨大なプランテーション農業の登場が、収奪的な農業をおこない農地を疲弊させた。循環する地域に存在した農業を競争で追いやり、食糧自給を行ってきた既存の農業を淘汰してしまった。巨大企業農業によって健全な国家の成り立ちを捨てさせたのだ。
日本も国際競争力のある農業と言うことに政府は力を入れている。その結果ますます食糧自給はおろそかにされている。こうした資本主義競争が農業分野や畜産分野にも、徹底されるようになったきた。これは循環する、永続農業が終わると言うことだ。日本でもそうした農業は政府の国際競争力で潰されている。
競争力のある果物を生産するということで、品種改良が進んで行く。甘いとか、柔らかいとか、農薬を使わなければ、作れないような品種が増えて行く。国際競争力が品種のあり方まで変えてしまう。
その結果、化学肥料や化学農薬を大量に使う農業に変わった。そして畜産でも同様にワクチンで病気を抑えるような、自然の摂理を超えたような飼育法が広がった。そこにもし、今までにない病気が生まれる環境が広がっている。
家畜間の病気の間は大事にはならないが、それが人間へ感染し、ヒトヒト感染へとウイルスは変異して行く。野生動物由来の病気と言うことが言われるが、そこに大規模畜産の影響が加わっていると考えた方がいい。
人間の文明は曲がり角に来ている。気候変動による大規模災害・環境汚染特にマイクロプラステック・人口増大と人口減少こうしたことは資本主義を選択した、人間の欲望際限なくしたがった結果だろう。
特に日本はすべてに対して、これから起こる可能性が高い崩壊とも言える事態に向かい合おうとしない。たとえば人口減少をまともに対応しようとしない。何とか人口減少に歯止めをかけるという、できもしないことにしがみついてまともに向かい合おうとはしない。
崩壊を先延ばしにして、自分は責任をとらないで済まそうと言うことだろう。みんなまだまだ肉が食べたいのだ。しかし暮らしを変える以外にない。こうして資本主義が終わるであろう、文明的危機は近づいている。