石垣島での制作と壁観と言うこと

   


 アトリエの入口に鎮座する、シーサー様 まるで粘土のままのように見える。そこが気に入っている。そういえば万古の急須の色に似ているか。最近下に粘板岩のような座部石を置いた。地べたでは申し訳がない感じがしたので。

 虎の穴にこもって絵を描こうしている人間にとっては、菩提達磨大師の教えは大切なことだ。江を下って面壁9年す、とある。海を渡って石垣島で何年間絵を描けることだろうか。だるまは碧観と言うことになっている。

 私は俗物だから、絵を描いているのであって、壁に向かっているような心境ではない。ただここで言う壁観は壁を見ることなのか、壁のような見方なのか。碧観と言う考え方は参考になる。どうもそこから面壁と言う言葉はできたと考えていいだろう。

 石垣島はわたしの参禅道場である。絵を描く場である。絵を描くと言うことは実に面白い。終わりがないほどおもしろい。日本の洋画が獲得した様式のような物を払拭することに専念してきた。その上で自分という物を表現するつもりなのだが、これがいつまでも払拭する方にとらわれている。その後のつもりが、またまねっこ乞食である。

 座禅は無念無想で行うということになっている。空になるとも言う。そういうことは私ごときには極めて難しい。それらしき妄想を経験したこともないではないが、まずは雑念が湧いて止まるところがない。仕方がないので、次善の策としてだが雑念にとらわれないと言うことが第一義である。

 ここでもとらわれないとつい考えている。自分と言う物は何だろうかと思う。自分が学んだ物が自分なのか、学んだ物をらっきょうの皮のように剥がしていっても、何物かがその内側にあるわけではない。

 絵を描くと言うことは雑念ばかりである。技術がなければ絵は描けないのだが、技術にとらわれている間は絵にはならない。弓の名人にならなければ、弓を忘れることはできない。筆を何に使う物だから、分からなくなった頃には、指で指し示すだけで絵は終わっているようになるらしい。

 これは岡本太郎が書いていたことなのだが、芸術は最終的にはここだと指さすだけでいいというのだ。言葉としてはなんとなく分かる。風景を見ていると、ここだと指さしたくなる状態はある。しかし、それは指さした物を画面の上に描けるというわけでもない。

 絵を描いているというのも、形から入ると言うことに近い。絵を描いている形がある。ただ海を見ていてもいいのだが、私にはできないから、絵を描いていると言うことなのだろう。形から入るというのは、えせ物であることを認めたような物だ。

 丸一日風景と向かっていて、飽きることがないのだから、絵を描くことはすごいことだと思う。釣りをしていても飽きることがないらしいから同じことだ。釣った魚までリリースするということは、釣るという行為そのものが面白いと言うことだろう。面白さは成果ではなく、行為にある。セザンヌは描いた絵を現場に置いてきてしまったという。

 そして又朝になると絵を描きに行きたくなる。不思議なようなことだが絵を描くと言うことが、それほど私の次を開くような、未知の世界に踏み込んでいる感じがする。

 先日、NHKラジオで鎌倉の禅寺の住職であり、精神科の医師でもある方が、座禅と瞑想のことを語られていた。本来空になることを修行するのが禅である。しかし、3年半修行した自分にもそれは難しいことであった。そこで、むしろ一点に集中することで、瞑想状態を作リ出すことを、普通の生活の中で取り入れるべきではないかと言われていた。

 確かにひとつの考え方である。禅の修行は並大抵のことではない。実は千日回峰業よりもはるかに困難である。全身全霊で何もないものに取り組まねばならない。人間に最も困難なことだ。行為そのものがないのだ。空という意識もしてる。と言うのだから難しい。

 生活の中で瞑想を行うというようなこととはある意味次元が違う。次元は違うのではあるが、座禅に似て非なる物ではあるが、一点に集中することでも、全く無意味とは言えない。えせであることを承知の上で、暮らしに生かすというのもないわけではないのだろう。

 山本素鳳先生は呼吸に集中しなさいと言われていた。数を数えると言う人もいるが、数を数えていると数を間違えることに気をとられる。それよりも呼吸そのものに集中しろと言われた。

 呼吸は腹式呼吸で行えと言われた。おなかで空気を吸い込むような気持ち。吸い込むのだから、吸気の時にはお腹はへこんで行く。排気の時にはお腹は膨らんで行く。この呼吸に集中して行く。そうすると雑念が湧かなくなると言われた。

 これは初心の私に対する指導であったので、本来の座禅とは違うのだろう。座禅は一人一人の問題で、正解はないに違いない。座禅に興味を持ったのは、座禅修行を長年された、山本素鳳先生にすごい人間力を感じたからである。先生が世田谷学園で禅を指導に見えたとき、まるで人間が違って輝いていた。後光が差していたと言うことだろう。

 ごく普通の人であるのだが、根底から力がみなぎり輝いている。坊さんというものはどうやってこの力を得るのだろうと思った。立派な人間になりたいとあがいているような高校1年生だったので、たちまち魅了された。

 それから座禅というものをひたすら行うと言うことに努力をした。そもそも禅寺で産まれて、寺院で育った。祖父も叔父も修行を積んだ人であった。しかし、出会う僧侶のすべてがくだらない人間であり、敬意を払うには値しないと思っていた。

 しかし、三沢先生にお会いして少し考えが変わった。長野の頼岳字に三沢先生を尋ねて、坊主はお布施で生きているインチキだとわざわざ言いにいった。先生はそのときお布施をいただけるような坊さんになりなさいと言われた。

 その直後山本先生にお会いしたので、坊さんのすごさのようなものを実感した。ここに何かあるとすれば、それは座禅修行しかないと思えた。それからまねごとを始めた。しかしまねごとのせいもあり、お布施をいただけるような人間には成れなかった。

 そこで絵を描くようになった。形のあるものでなければ、私のような俗人には修行は難しいと思えた。形があれば、弓の名人になることはできるかもしれない。これは俗人の考えである。俗人はただ何も無い所に向かって座っていると言うことにはできない。

 絵を描いているとすぐさま空白の状態に陥る。これが座禅の空と同じなのか、違うのかは分からないが、向かい合う風景を見ているだけになる。呼吸に集中して行きなさいと言われた、山本先生の言葉を思い出す。見ることに集中して行く。

 ただみている。そのただ見ているものを画面にあらわそうとしている。この感じは座禅の空の状態と言うより、瞑想状態に近いのかもしれない。それで何というわけでもない。私に後光が差してくるようなことは全くない。それでいいのだが。

 絵を描くと言うことは、見ていると言うことに入り込むことだ。そのみている状態を絵にすることができれば、それは私絵画であろう。それは碧観に似ている。その世界がどんな絵になるのか確かめるためには、ぼけずに長生きしなければならない。

 

 

 - 水彩画