年金はこの先どうなって行くのか。
年金は大改革するか、税金の中で処理するものに変更するのか。何かしなければ、最悪のものになるのだろう。このままで維持できるはずがない。
年金の未来100年の検証が発表された。一言で言えば、心配無用という分析である。これは大本営が敗北を転進と言い換えたやり方と同じだ。正直に年金の問題点を公開して、国民全体の問題にすべきだろう。なんとか、形だけすり合せて維持できるかのように見せるのは問題の先送りに過ぎない。
年金未来の背景の条件はアベノミクス経済成長が続けばである。外国人雇用が上手く機能する前提である。地方の社会が消滅しなければである。食料不足に陥っていなければである。老人や女性が働くようになり、労働人口が減らなければである。すべてがうまくゆくとも思えない前提である。
年金未来100年構想の実現は厳しいと見なければならない。外国人労働者に対して、日本人と同じ社会保障、教育、最低限の生活保障ができるのだろうか。どの分野を考えても、できない可能性の方が高い。できなかった場合どうなるのかの方を、受け手の国民は考えておかなければならない。
足下がグズグズである。現実社会を見ようとしない検証をしている。結局政府を忖度して、数字あわせをしているに過ぎない。忖度しない報告は受け取らない政府なのだ。根拠の無い検証を基に、100年計画を立てる。誰もがおかしいと気づいたときに、年金は間違いなく崩壊している。
現状の年金は改革しなければならないものだ。改革のためにはこの先の困難を政府と国民が共有しなければできないだろう。政府が国民を全く信用していないと言うことである。国民は甘い言葉しか聞かないと思っているのだ。選挙が政府を悪くしている。
誰もが年金に未来はないと考えているから、年金を払わない方が賢いと考える人が増えることだろう。払い込んだだけ返ってこないなら、貯金しておいた方がましである。私が年金を払いだした50年前は払うよりはるかに多くのお金が戻ると思われていた。
高度成長期というものは物価がどんどん上がるから、1万円収めて、将来10万円以上になると普通に思えた。今は物価も所得も上がらないから、1万円収めて、一万円もらえればまだよいというところだが、若い人にはこれすら危うと、私のような素人は想像している。
今回高額所得者の老齢年金の一律カットが、3党合意で先送りされた。老齢年金は、働けなくなったため所得が下がったお年寄りのために支給するものという考え方が本来の趣旨とすれば、先送りすべきではないということになる。
もしこういう考え方が年金に定着すると、高額所得者になる気でいるもの、あるいは高額所得者は、年金をおさめなくなるであろう。高額所得者はそもそも年金を多く収めている。一方低所得者は年金をおさめないでも生活保護レベルのお金はもらえる。だから、低所得である者も年金をおさめない。結局のところ、年金をおさめる人がいなくなる。
年金を払う人、払わない人の不公平感は強くなる。それくらいであれば、今の年金制度はやめるべきだ。少なくとも年金制度というものは50年前に約束したことを守ることで、50年後を心配させてはならない。
100年年金安心と政府が主張して、100年後破綻していたら、どのように責任が取れるのであろうか。つまり、50年前の年金制度で約束したことは、守らなければならないのが政府である。それが不公平であろうが、間違えであろうが仕方がない。それが国が作る制度というものではないだろうか。
ここを崩してしまうと、100年先もでたらめな年金だと国民は考える。結局年金をおさめる人がいなくなり、この制度は破綻する。金持ち老人に年金を払うのは惜しいと思うのであれば、高額所得者の税負担を増せばいいのだ。それが制度の一貫性である。
国の作る制度に対して一定の信頼度があるから国は成り立つ。後からじゃんけんのようなやり方の年金制度改革は、信頼されないだろう。これでは、貯金にしがみ付く以外ないという老人の選択だ。