桜を見る会に招待される上級国民
石垣島白保の丘の上にある不思議なモニュメント、現代アートでもない。宇宙人と交信するためのものでもない。歴史的建造物らしい。何だろうか。何かすごいものかもしれない感じがする。表示板はあるが、説明などはない。
桜を見る会にアベ氏の後援会の方々が多数招待されていた。そのことが問題になると、二階幹事長が当然のことだと居直っている。何が問題なのかということである。総理大臣たるものに、こんなつまらないことで因縁を付けるなど、何事かということだろう。
問題なのは、毎年こういう桜を見る会を、NHKまでもがニュースにしていることである。そもそもおらが地元の議員さんが偉くなり、こんな名誉な集まりに招待までしていただける光栄と言うことだろう。
上級国民に混ぜて貰うありがたさ。そのために芸能人も多数呼んである。芸能人にしてみれば、一流の証と言うことになるのか。名誉なことだと感じてしまうのが、人間である。こんな席に招待されるほどの人間になったのだという事なのだろう。
まあ、勲章というものがそういう類いのものである。嫌だ、いやだ、ああイヤだ。縁が無いから、ひがみと受け取られるに違いないが。それで結構である。絵描きでも勲章を画歴に入れるような人が案外に居る。どうでもいいが、日本人の一番いやな性根である。日本人だけではないのだろう。人間の性かもしれない。
そうした、浅ましい性根を利用する政治。そうでもなければ、保守党議員の選挙に思想信条で協力するひとなど滅多にいない。居るとすれば利権関係者ということか。勲章をくれるか、桜の会に招待してくれなければイヤだという背景は想像できる。
政府が主催する桜を見る会に招待されるという名誉で、人を動かそうとしている。その度が過ぎてきたわけだ。総理大臣枠が800人枠と言われているらしい。アベ政権になり、予算枠もうなぎ登り。
誠に馬鹿馬鹿しいかぎりのことである。政府主催の桜を見る会だから、税金を使ってということだ。有権者がこういう政治を受け入れているということだろう。どう考えても公的な行事を装い、自分の権威を示す場にしているだけだ。これが犯罪ではないと言うことらしいが、相当悪質としか思えない。
アベ政権の場合、アベ氏自体がそいう意味的存在なのだと思う。アベ人形劇場なのだ。アベ氏は木偶人形なのだ。総理大臣という役を振られている。こんなに旨く役をこなした人は前代未聞だ。
アベ氏自身の人間としての姿は、国会で野党議員に思わずヤジを飛ばすような人である。答弁をしているのかとおもうと、自慢話だったなどということも良くある。生身の安倍晋三はごく普通の、もしかしたら普通以下の政治家である。
ところが、アベ氏ほど時代を動かした人は少ないと思う。時代に乗ったのだろう。時代が必要とした人物なのだろう。日本が下り坂に入り、どうにも止まらない。ところがこれをアベノミクスは買いだ。などと上っ調子で政治を欺むく人が必要とされたに違いない。桜の会も必要になるはずだ。
支持者も、非支持者も含めてみんなで作り出した幻想がかなりの部分を占めている。その幻想は演出と言ってもいい。国民を欺く演出には桜の会が必要なのだ。桜の会に出れるような立派な人になれるように、身の丈を知って頑張りなさい。と言うことだろう。
資本主義経済が煮詰まってきている。中国のような国家資本主義と、アメリカのような超大国の独善一国主義の経済の戦い。当然日本の社会はずるずると引き離されて居る。教育予算がOECD最下位と言うところまで日本は落ちた。
こうして格差社会が構築されて行く日々である。桜を見る会に招待される上級国民側と、其れを指をくわえて見せていただく下級国民。テレビ報道は何の見識も無く麗々しく報道して事タレりとしてきた。放送倫理協会はどう考えるのか。
この低俗な日本は、日本人が作り出したものだ。日本人のおおくのひとが、心の中では願っているものが、桜の会の招待状なのかもしれない。トランプ支持者が下層白人層だという分析は日本にも当てはまるのだろう。つるされた桜の会の名誉に預かれない人間が、何とか名誉の恩恵にとアベ支持者になる姿。
内のお父さんは桜の会に招待されたんだと、ご近所では名誉なことである。ブログに自慢げに書いて、慌てて消した人が幾人も居るという。桜の会のさくらが社会を動かすようになってしまった。これが1票になっている。そうではない社会が来るのではないかという、気がした時代もあった。ところが、アベ氏の登場は一気に階級社会を推進した。階級社会がアベ氏を押し上げたとみた方がいい。
アベ氏は良くその役割を演じている。当人は演じている自覚はないから、馬鹿なヤジなど飛ばしてしまうのだろう。演出ミスである。アベ氏をでっち上げる演出家集団の存在がある。それは日本社会に根強くはびこる、封建主義なのだろう。無くなると思っていたのだが、下り坂社会で、もぞもぞとその闇を深くしている。
天皇の存在も階級社会の象徴になろうとしている。アベ氏自身が動かされていることに気づかないように、天皇自身はそんな気持は毛頭無いだろう。ところが、誰がと言うことではなく、日本人の中にある、どうにもならない封建的な気持のシッポがそうさせるのだ。「父さんは桜の会に行ってきたのと言うかあさん」
来年は桜の会は中止だそうだ。私の判断で中止にしましたと偉そうに答えていた。そんな台詞誰に教わったのだろう。これで済んでしまうのだろうな。こんな日本に誰がした。残念ながら、私もこんな日本にした一人なのだろう。