石垣島で描いた絵
石垣でこの1ヶ月に描いた絵の中から、7枚を選んで写真を撮った。それなりに進んだと思えた絵である。この紙は中盤全紙である。インドの手漉きの紙である。とても荒い紙である。
荒いというのは毛布目もあらいし、紙の作りも荒いということになる。しかし、そこが魅力と言える紙でもある。私が知る限り、この紙が世界で一番厚い水彩紙である。この紙の場合厚いことが意味があるのかどうかはよく分からない。薄く作れないので厚くなってしまったというような、大雑把なところがある紙だ。20年ぐらい前に紙舗直でまとめて取り寄せて貰い購入したものだ。
この絵は私としてはずいぶん丁寧な絵である。やれることをやり尽くしてみようと考えた。と言っても今やれることであって、やるべき事ではない。目標はまだまだ遠いいのだが、今やれることはかなりやったような気がしている。
こちらの絵も、同じ場所から描いたものである。中盤全紙のファブリアーノの半手漉きの紙である。この紙も厚い紙であるが、厚さにきちっと意味がある。厚さと吸い込みの関係が実に良く考慮されている。だから、色の正確な表現もできる。
発色の微妙な柔らかさにも対応してくれる。と言って色が甘くならないところが優れている。つまり曖昧にごまかしというわけには行かない紙である。紙に頼ることはできない紙で、こちらのやりたいことが明確に出てくれる紙だ。
この絵でみると、海の色と、空の色が、違って表現できる。当たり前のようだが、そうでもないのだ。かなり前進したという気になった絵である。緑の違いなども、厳密に反映している。同じ場所の絵を並べてみると紙のちがいで、絵が少し違う。
中央の名蔵の田んぼが素晴らしい。絵としてはまだなのだが、田んぼとしてはこれで良い。ここにこうして田んぼを作り出した人の思いが見える田んぼだ。11月のことだから、2期作目の実りである。
2期作目の田んぼは少しさみしい空気がある。なぜかイネの勢いが今ひとつなのだ。夏に苗が作られ、植えられるということで、イネは十分な力を発揮できないようだ。このあたりのイネの生理については、もう少し調べてみたい。
もちろんだから絵として良いのかどうかは別である。自分の見ているものに従った気がしている。この2枚はいつもより時間を要した。やれることは全部やろうと考えたらそういうことになった。
いつもの宮良川で描いた。したのもう一枚と同じ場所である。橋の上から描いている。橋が少し広いので、何とか車が止められる。川が自然にできている。水は外に広がろうとする力が働いている。それで蛇行するのだそうだ。昔地理の時間で教わったことをいつも思い出す。
この川の上流にはダムがある。そのダムは下流域の水田の水源池になっている。NHKが水源のダムより上流部に、自衛隊基地を作ることを疑問として放映した。これに石垣市議会は抗議をしている。人間の飲み水のごとく放送したことを問題にしている。
とんでもない話だ。なぜ田んぼに来る水ならば、汚染されてもいいのか。水田にすこしづつ、訳の分からないものが蓄積することの危険は計り知れない。
絵の上部にあるしま模様が、遠くに見えている水田である。ここがなかなか描けない。いろいろのやり方で描いてみているが、あのさみしい感じの田んぼにならない。
それでも今回のものは一歩前進ではある。川の表現である。川が空なのだ。川は空を写して流れて行く。この感じが描きたい。田んぼが自然の中に埋もれそうにある。田んぼという説明は描いてない。その当たりはまだよく分かっていない部分。
新しい場所で描いたものだ。右側に見えているのが、前勢岳で頂上に石垣天文台がある。それは描いてない。遠くにあるのが於茂登岳である。この場所が描きたいとは思っていたが、今回初めて描いてみた。
この場所での3枚目の絵である。実は実際の風景とは大分違う。まあそれはいつものことかもしれないが、この絵はかなり違う。大きくある建物は見ないことにしたし、海を邪魔している茂みも無いことにした。その上に中央にないはずの道を入れた。
いつもはこういう絵作り的操作は余りしないのだが、この場所の絵では3枚目であえてそういうこともやってみた。そうした方が何が良いのかも分からないのだが、試みとしてやってみた。以前はそんなことは普通だったのかもしれない。
放牧地が所々に見えている。なんともいいものだ。すごい勢いの自然に負けずに、くっきりと存在を示している。手前の茶色い部分は石垣の土だ。かなり厳しい土だ。
風景に近づいて描いてみた。急にそばのものが描きたくなった。ここを描くつもりは全くなく他を描きに行く途中でここに惹きつけられてはじめて描いた。朝から晩までの一日の仕事である。
白保である。手前にはオクラの畑がある。オクラ畑はまるで整列したように花を咲かせている。緑と白がまるで模様のように見えた。ここの畑の方は私が描いているのに気づいて、わざわざ遠くに車を止めてくれたらしい。帰りがけに気づいて申し訳なかった。
ここには見えないが川が流れている。丘に家がある。わきに木が風に吹かれている。この木が描いてくれた言ったような気がしたのだ。小屋には白い山羊がいる。山羊は描いてくれとは言わなかった。
この絵が今回最後の絵である。白保に幸福牧場というところがあり、その隣である。確かにここに居ると幸福な気持になる。それにしても不思議な名前にするものである。こういうオチャメな感じが石垣の文化にはある。
黒い点は石垣牛である。手前には石積みがある。牧場の回りを石積みが取り囲んでいる。放牧地で出てきた石を回りに積み上げていったら石垣になったのだろう。こういう石垣が何キロ続く場所もある。そのうち又描いてみたいと思っている。
石垣島の雲を描いている。様々に描いているのだが、この絵はそれらしくなった。偶然である。なぜそれらしくなったのかも分からないのだが。まあいいかなということである。海の青い色のためかな。
この1ヶ月に描いた絵である。この倍くらい描いたのだが、写真はその半分写した。写真を撮らなかったのはまだ続きを描く絵だからだ。
私の絵を知らないうちに印刷して販売している人が居る。全くかまわない。使いたいのであれば、どの絵でも自由に使って貰ってかまわない。私の絵が利用できるのであれば、どのような形であれどうぞ。