台北から石垣までは40分のフライト
故宮美術館にあった鉄鍋、私の家にも似たものがある。ただこのなべ底にある文字がすごいのだ。いい字だった。ああいう字を書きたいものだ。
台北空港から石垣は近い。フライトは40分とアナウンスされていた。飛行機が飛びあがったと思ったら、コッペパンのサンドイッチと水が配られた。食べる間もなく、飛行機は下降をは始めた。40分で食事を出すサービスはびっくりだ。
台北から桃園空港に行くのも初めてなので、早めにホテルを出た。ホテルにいつまでもいたところで、仕方がないということもある。早起きということも困りものだ。ホテルの朝食は食べないで、外で珍しいものを食べることにしていた。
ホテルの周りには台湾式の朝食を出すお店がいくらでもある。それもさまざまであるから、台湾式朝食を食べ歩いたほうがおもしろい。当然ホテルの食事よりも安上がりである。そのうえおいしい。
桃園空港に行くには台北駅から直通列車がある。心配だったのは、ターミナル1なのか、ターミナル2なのかである。駅が2つある。中華航空の案内にはその説明がなかった。仕方がないので、最初の駅で降りた。案内板を見るとすごい数の出発便が並んでいるが、石垣行きはない。
どうもここではないなと思うが、列車に乗りなおすのでは大変だと思うし、そんなはずもないだろう。ひとまずそこにいたおまわりさんに聞いてみた。色々調べてくれて、石垣行きはターミナル1だからここではないということを教えてくれた。そして、1の行き方はあの案内板の方へで歩いてゆけということだった。なるほどターミナル1という案内がある。
案内に従い、しばらく歩くと、モノレールがあった。モノレールですぐの場所だった。ターミナル1はどちらかというと静かである。さっきの方がメインの飛行場のようだ。中国行きがかなりあった。そのほか世界各地へのフライトがある。大阪とか成田というのもあったが、石垣島は飛行機が小さいから、別なのだろうか。
第1 ターミナルでもわかりにくかった。チケットにD6乗り場とあるのでそこにいたが、どうも様子がおかしい。そこで飛行場の人に聞いてみた。D8に変わったという、変わったら変わったという案内がなければわからないだろう。全く案内がない。中国語では言っていたのだろうか。
聞いてみてよかった。D8ゲートに行くと、確かに石垣行きがあった。飛行機は満席である。週2便だから、満席になるのは当たり前かもしれない。日本人らしき人もいないわけではないが、私にはほとんど判別ができない。石垣での入国審査で日本人の方に並んだ人もいくらかいたので、後で初めて分かった。
中華航空は石垣の空港の隅の方に、タラップから空き地のような場所に降りる。なんともローカルである。雨の日はどうするのだろう、歩いて入管までゆく。狭い場所にごちゃごちゃである。出ると椅子もない場所に人がいっぱいいる。これから来た飛行機に乗って台北に帰る人たちである。
ああ、こんな感じで台湾の人には石垣というところが見えるのかと実感できた。台湾から石垣島へ入る方法が楽しみであった。石垣島がなんとも、こんな感じにみえる。どこかの離島に来たという感じである。悪くはない。台湾は都会である。特に台北は東京よりも都会かもしれない。石垣の田舎の感じと大違いである。
台湾の人は石垣にのんびりしに来ている。石垣空港のはずれの台湾からの窓口には地中海クラブの受付があった。なるほど、こういう形で石垣の地中海クラブは利用されているのだ。台湾のお金持ちが、石垣の高級リゾートにくる。
なにか、石垣のこれからの方向がこういうところにあるのではないかと思える。アジアは経済が上昇している。リゾートでゆくっりくつろごうという人たちも増えてゆくことだろう。石垣島はそういう魅力を備えた島である。簡単にあの喧騒から、石垣のゆったりしたのどかな世界に来ることができる。
石垣が東アジアの交流拠点になりうる。音楽とか舞踊という文化が重要である。この魅力は世界の人が喜んでくれるに違いない。お祭りに来てもらうということもあるだろう。八重山の民俗ということを大切にすることである。私が言うようなことでもないが。外からの眼の方が、石垣の位置がわかるということもある。
石垣は改めて良い場所だ。台湾の喧騒に比べて実に静寂である。落ち着いて暮らせる場所だ。確かに若い人にしてみれば、物足りないのかもしれない。渋谷や西門の若いほとばしるようなものはない。その分落ち着いて暮らすことができる。
今日からまた石垣での絵画生活再開である。上野の水彩人展で受けた刺激。そして、銀座の一枚の絵で感じたこと。台北での日本の抽象展。そして若い台湾の作家黨若洪さん。芸術家村の共同生活。自分の立ち位置のようなものが確認できた気がする。
方角は見えてきた。あとはやりつくせるかどうか。やれるかどうかよりも、自分の方角に向かい、制作できるかである。特に、黨若洪さんにそのことを教えられた。言葉にしてみれば、水彩画のベラスケスである。ベラスケスがわかりにくければ、マチスである。その方向の先にあるものだ。
正しいところに正しい筆を置いてみたい。見えているものを、画面に筆で置き換える方法である。それを水彩という日本の風景に適した方法で、やってみたい。まだそういう水彩画には出会ったことがない。水彩画は知性の感じられない精密写生画ではないということを示したいと思う。
それにしても、石垣が完全に自分の住まいになっている。拠点という感じである。これは悪くない状態であろう。悪くないどころか、最高の状態である。石垣から出かけて行って、小田原の田んぼも終わり。水彩人も終わり。一枚の絵も終わることができた。そのうえ台湾旅行までできた。これ以上のことはないだろう。特に疲れているということもないので、今日から絵を描きに行けそうだ。