75歳まで働けるようにしてあげるという有難迷惑

   



 70歳を過ぎて2ヵ月が経過した。老人になったという事を痛感している。10年前何でもなかったことが、あれこれ不安になる。何か落ち度が起こりそうで落ち着かない。いつも、間違いがないか気にしている。誰かに、どこかで迷惑をかけているに違いない。

 いくつかのことを同時進行する能力がかなり失われた。聖徳太子は7つ同時進行だったというが、若いころには2つぐらいなら何とかなった。今は一つでもおぼつかない。迷惑をかける前に立ち止まらなければならない。さらにさらに整理しなければ。

 今でも、舟原溜池のこと、稲刈りのこと、農の会のこと。水彩人展のこと。特に遠方の人の絵の搬入方法を作る下準備。台湾旅行のことも気になる。舟原の家のあれこれもある。先日は東電が電線にかかる木の伐採に来てくれた。ちょうどいる時で良かった。お願いして、徹底的に切ってもらった。こういうことと、水彩人展がまぜこぜになり何か失敗がある気分で落ち着かなかっい状態だった。

 様々なことが入り混じり、何か抜け落ちていないかいつも不安を抱えている。昔なら普通だったことが出来なくなっている。水彩人展が月曜日休日だとついつい考えていた。今年は会期中休みなしである。月曜日休日の年もたまにあるのだ。そのためにホテルの予約の取り直しをした。気づいただけましかもしれない。

 目が徐々に衰えている。絵を描くうえでこれが一番の心配事である。歯も危うい。時々妙な状態になる、歯槽膿漏というものなのだろうか。歯を何度も磨くと直るのだ。直るというのが不思議で、時々歯を磨いている。悪いことではないだろう。

 耳はどうだろうか。たぶん聞こえが衰えているに違いない。迷惑をしていなければいいが。聞こえが悪いというのは自覚しにくいものだ。その意味では足腰の方は、それほどは変わらない。それは万歩計が示している。小田原に来てから、ほぼ1万歩を超えている。台湾では毎日2万歩だった。それでも足腰に疲れは無い。

 畑仕事は出来るだけ頑張りたいと思う。これが石垣で絵を描く体力の貯金になる。石垣では散歩をすると言っても1万歩にはなかなか到達しない。小田原では特に何かしていないと思っていては、1万歩を下回った日はなかった。自然動くことになる。展覧会準備というのも意外に歩くもので、いつも一万歩だった。

 溜池の草刈りを渡部さんとした。燃料2回である。大体昔から刈りばらい機の草刈りはこのくらいで止していた。これ以上やると翌日に疲れが残る。今回は午前中で終わり、昼寝をしたら普通に戻っていた。熟睡の昼寝ではあった。まだ回復力があるということだろう。要するに、身体よりも頭の方から老いがきているらしい。ここが一番の注意点である。年寄りが怒りやすくなるというのは頭の衰えなのだろう。

 稲刈りも何とか出来た。のこり5回の内の1回目の稲刈りである。稲刈りは10月5日6日なのだが、5日が水彩人最終日で作品の引き上げに行かなければならなかった。4日の前日の準備は、丁寧にやりたいので、水彩人は休ませてもらった。

 脱穀もみすりと、一応こなすことができた。ぜひとも来年も頑張りたい。

 繰り返すが、物忘れが気になる所だ。こういう繰り返す書き方がそもそも衰えなのだろう。自分のことは仕方がないのだが、一緒にやっている人に迷惑をかけていないかが心配だ。年を取るということで、変更しなければならない何かがある。こうして同じ事ばかり書いている。

 定年延長などと言う。たしかに働ける間は働くのは悪いことではない。私だって働いて居たい。田んぼは動ける間はやりたい。しかし、責任が取れなくなっている。これを自覚しない老人は始末が悪いものだ。困った年寄り、昔取った杵柄の老害。

 仕事はやはり、完全でなければならない。たまにでも落ち度があれば、仕事ではなくなる。人によってその限界は違うのだろうが、私には養鶏業が出来るのは65歳までであった。間違いが起こる前に止められて良かった。70歳までは何とか普通に農の会や水彩人のこともできた。こういうことが危うくなるのはこれからである。この後はやはり絵を描くこと以外は、出来なくなるのだろう。できないのにやりたいというのでは、はた迷惑だろう。

 70歳で、石垣島に暮らすようにしたことは正しい選択であった。石垣にくれば、絵を描くだけである。他のことは全くない。あったとしても対応もできない体制なのだから、考えることもない。一切を忘れて、絵を描くだけで暮らせている。

 早速、名蔵湾を描きにいった。やはり良い場所だ。やることもだいぶ整理されてきた。ところが描いた絵がだめだ。これはまあ致し方ない。一月ぶりに描く絵は何か力が無い。明日には思うところまでは行きつけるはずだ。明日頑張る。

 65歳までで責任のあることはできなくなると思っていた。今思えばその通りである。やはり定年は65歳くらいが限度ではないかと思う。もしどうしても働くのであれば、頭の精密検査が必要である。自分という人間の運転免許の更新が必要である。中古品なのだから、整備点検が可能かどうか、細かくやる。老人衰えの国家試験。それくらい年寄りは大変なしろものだ。私もそうだと思うので、遠慮くなくいってもらいたい。勤めは若いころから無理だったので、老人とは関係ないか。

 65歳から70歳までは何とかやってきたが、70歳になってからはそれまでとは明らかに違う。過去の結果があるからでしゃばることになる。70過ぎて責任ある立場で仕事にかかわるというのは、良いことは何もない。お手伝いを精一杯やらせていただき、お世話になったことに恩返しをするのが年寄りだろう。

 次の時代の文化につなぐもの。それは私絵画の誕生だと思う。絵画することが、自分個人の生きざまになった時代。その形を何とか残したいと思っている。まだまだ駄目だ。最低でもあと10年は必要である。自分の為に絵を描くことが、どういう意味を持つのか。残りの時間の限り私絵画というものを突き詰めたい。

 

 - 暮らし