水彩人の仲間から絵の批評の手紙が来た。
この絵を絵を語る会に出した。
水彩人の仲間から絵の批評の手紙が来た。絵の批評はありがたいと同時に危ういものでもある。わざわざ批評を送ってくれたと言うことは、相当に気になることがあったのだろう。Hさんである。
水彩人同人のHさんは印象批評の人である。勘は良いタイプの人だし、絵の感覚は持っている。見て反射的に気になると言うことを指摘してくれるが、何故かと言うことまではない。相当の数の絵を見てきている人だから、ある角度の判断力は鋭いと思うことがよくある。絵を好き嫌いで判断していいのだろうかと思うこともある。ただいつも一生懸命な人なので、いい加減なところが無い。
心からありがたいことである。そういう仲間がいて初めて、絵は前に進むことができる。批評をを大切に受け止めて、仲間にすこしでも答えなければと思う。問題点が、正しい指摘だと思っても、絵を直すと言うことはできない。ただその言葉が正しいものであれば、次に描くときによみがえってくる。
その指摘は、絵の左側の崖の部分が強いと言うことだった。Hさんはいつも絵作りについて批評してくれる。全体としてはいい方向に戻ってきたと思う事は思うのだが、どうしても右側の黒い崖部分が強くて気になると言うことだった。
私なりに左側の部分の強さは、田んぼのヒカリカガヤク不思議な感じを、表現としたかったがためである。ある意味心象風景にするためなのだろう。意識した黒の強さである。
実際にもかなり明暗が強いのだ。それが強い光が真上からあたる、石垣の風景である。陰は無い風景になりがちなのだが、影ができると真っ暗に見えることもある。あくまで見えている世界に近づくように描く。絵としてのできあがりは意識しないようにしている。その意味で、意識した部分の違和感かもしれない。
Hさんの指摘はきっとその通りなのだろうと思うが、何と比較してその通りであるのかについてはまだよく分からない。つまり、絵を何とかしようと言う視点は持たないようにしている。自分の見ている世界に近づくかどうかが判断基準である。見ている世界が強くなければならないのであれば、絵としておかしいと言うことはどうでも良くなる。
その黒さを落とせば自分の見ている世界に近づく場合は色を落とすだろう。そうでなければ、絵としておかしいと言うことは判断の材料にはならない。現実に見えている世界というものは、実に不可思議な事が多く、絵のようにつじつまが合っているとは思わない。どんなにおかしな事も現実にある。浮き上がってバルールのおかしい田んぼの水面がある。それに惹きつけられ描くことがある。
65歳までは絵を描き始めた流れそのままに絵を描いてきた。子供の頃から、好きな絵をまねることをしてきた。ボナールが好きになったときは、模写もした。マチスの切り絵に関しては、同じものをあれこれ制作した。それが面白かった。
何度か転機はあった。一番はまねてきた絵作りが限界に達した時だった。まねてそれなりの自分の絵を描いたつもりだったのだが、真似の限界に気づいたときだ。真似で巧みに絵を仕上げようとしている自分に気づき、情けない絵だと思ってしまった。山北に移ってしばらく頃だったから、40歳すこしの頃だ。
油彩画を止めた。しばらくして水彩画で写生を始めた。見て美しいと思うものを描いてみた。しかし、当然まねをすることで出来上がった絵作りが制作を左右していた。なんとか写生から絵を作ろうとした。素晴らしい世界が目の前にあるのだから、見ているそれで絵を描こうと言うことだった。
水彩画を初めて、25年ほどそういう描き方であった。60歳を超えた頃から、見ているものに従うとはどういうことかと考えるようになった。良い絵に近づいたところで仕方が無いと言う考えが年々強くなった。
私絵画を考えるようになった。それまでは絵画芸術は社会に対する表現で無ければならないと思っていたものが、自分が描くという意味の方に重点が移った。絵より自分の方が重要だと考えるようになった。自分が精一杯生き切りたいと考えた。自分が描くという行為が自分自身の生きると言うことに直結するような描き方に、絵を描く意味が変わった。
65歳の頃から、70歳までに、なんとか身についた絵の観念を抜け出よう。より純粋に自分が見ている世界に従おうと考えた。そのためには描く場を変えることも必要と考え、沖縄に通うようになった。
そして、69歳の時に石垣島に引っ越した。心機一転である。30代に行き詰まり、山北で自給自足生活を始めたときと同じだ。できる限りをご破算にして、なんとか自分の見ている世界にまっしぐらに行こうと考えている。
最近やっと、スタートラインに立ったという意識ができた。この意識で10年ぐらい絵が描ければ、なんとか自分というものに到達できるかもしれない。今はそんな気になっている。後は自分の体力と気力との問題だろう。
もう一度、何故そこが強いことが問題なのかである。Hさんはそんなに見えるはずが無いと考えているのだろう。だからどこか絵が不自然であると感じたのだろうか。
目の前には7月17日に石垣に戻ってからの絵が9枚並んでいる。50号から20号くらいの絵だ。紙もいろいろである。大体3日に一枚のペースで描いている。絵が進んでいるのかどうかはよく分からない。日々精一杯描くと言うことである。これができればそれでいいと思っている。
水彩画の描き方の方はそのときそのときで、あちこちに行っているようだ。緑色の表現を試行錯誤している。この中から一枚は水彩人に出すつもりだ。その写真を送る期限は8月20日である。水彩人展ではまた、絵を語る会をやろうと思う。