ナショナリズムと人権。

   

 国家に翻弄される棄民、遺民。人間と国家というものをどう考えればいいのだろうか。人間は個としての独立性と、自由な人権がある。しかし、人間は社会的な存在でもある。社会があるから、人間の尊厳が守られるとも言える。
 日本国は外国人労働者を都合の良い労働力と見ている。日本国は国民を国力を上げるための材料としてしか考えない側面を持っている。国というものが人間の暮らしに災いをもたらしても良いものなのであろうか。
 しかし、いつの時代も国家は国民を虐げている。富国強兵という明治帝国日本はお国のためであれば、国民は犠牲になって仕方の無いという時代だった。そのために過去に無い、移民、棄民が行われたのだ。
 国家はない方がましなのであろうか。日本人であると言うことにどんな意味があるのであろうか。ついそんな疑問を持たざる得ないような、政府が再登場している。
 瑞穂の国である日本を魅力ある国であると考える。何故、瑞穂の国を捨て、美しい日本を捨てる方向に日本は向かったのだろうか。経済競争であるのは確かだろう。競争は生活の向上のはずであったが、企業の競争が優先され、国家間の競争が生活をないがしろに進んでいる。日本社会は貧困層が存在する社会になりつつある。
 経済競争に国家というものが翻弄されていることが、残念でならない。資本主義に国家が壊されている。勝者であるはずのアメリカですら、アメリカという理念は捨てたようだ。自由、平等、博愛はどこに消えたのか。大統領がアメリカグレートと叫んでいるグロテスク国になったようだ。アメリカには心正しい人も多い。きっと苦しんでいるに違いない。
 アベ氏は総理大臣になる前には、美しい国、瑞穂の国と著書に書いた。ところが、総理大臣になってからは全く口にしたことが無い。日本にも「自由、平等、平和」これを理念と考えた戦後社会があったのだが。今は理念などいらない国家とアベ氏自身すら思っているのでは無いだろうか。
 沖縄では本土復帰運動というものがあった。アメリカに占領された基地の島沖縄として、アメリカの支配を抜け出たいと言う気持ちは当然のことである。そのときに何故、日本に復帰したいと考えたのであろうか。
 日本人である血族意識であろうか。台湾のような選択はなかったのであろうか。沖縄は明らかに日本国の犠牲になってきた地域だ。それは、薩摩支配の時代以来今まで続いてきたものといえる。それが現在のアメリカへの基地提供の背景なのだろう。
 日本復帰運動の中で、沖縄の独立と言うことを主張した人はほとんど居なかった。復帰直前の世論調査では80%を超える人が、日本への帰属を希望した。当時のその選択は現実として当然のことのようにも見えるが、今沖縄独立、アイデンティを主張する人も少ない状況を見ると、沖縄にとっての日本国はどう考えればいいのであろうか。
 復帰後どうやって米軍基地の削減ができるかが、日本政府のやらなければならないことであった。それは70年当時盛んに言われたことであった。沖縄返還は、沖縄の負担軽減の始まりだと主張された。
 にもかかわらず、日本国民全体が、米軍負担を沖縄に集中して押し付けてきた結果が今の沖縄である。沖縄の負担軽減をアベ政権は口にはするが、まともな結果をもたらしていない。当然のことであるが、現状沖縄に変わって、米軍を引き受ける自治体は日本のどこにもない。
 こうした状況下、中期防衛計画では自衛隊基地を沖縄の離島に増強し、米軍に共同使用して貰おう、というすり替えが当たり前のように持ち出されている。沖縄をアメリカに貢ぐことで、日米安保の整合性を図ろうというのが、アベ政権の一貫した方針である。
 トランプは安保条約は片務的だと主張している。ソウではないと日本政府は今必死に説明しているのだろう。表面は片務的に見えるかもしれないが、さらに八重山に配備する自衛隊ミサイル基地もアメリカの自由に使える基地にしていると説明している。
 世論をいくらかでも基地賛成にするためには、中国が武力主義の悪者でなければならない。領土を奪いに来る悪者でなければつじつまが合わない。できれば中国に対して、経済戦争をしたいところなのだ。
 石垣の市議の中には、すでに中国との関係は平時状態とは言えないと議会で述べる人すら居る。それなら何故、尖閣問題の解決を国際裁判所に提訴しないのだ。中国は日米安保にとって最大の敵でなければならないのだ。
 国家の本音としては、領土問題は都合の良い材料であり、解決してはならないものなのだ。対中国の危機意識を高め、日本の軍事力の増強を図るという政策だ。軍事力強化の悪循環が起き始めているのだ。武力は国民のためのものなのであろうか。
 本来国家というものは、個人の自由で豊かな暮らしを支えるものでなければならない。ところが、個人の暮らしを制限し、負担を掛けるのが国家と言うことに沖縄ではなっている。弱いところほど、負担は大きくなるということなのだろう。
 それは原発立地は過疎地域という法律すら存在することでも分かる。経済の弱い地域はいやなものを受け入れざる得ない。沖縄は地理的な条件と言うことで、米軍基地や自衛隊基地が偏在させられてゆく。それは軍事力というものの変化とは関係なく、自衛のための戦略とも関係なく、弱いところに押しつけるように進められる。
 国は国民のためにあると言えるのだろうか。その意味で、アベ政権ほどひどい政権は経験したことがない。国が憲法に従い運営され、基本的人権を平等に認めるのであれば、徹底した民主主義によって政治が行われなければならない。
 沖縄では米軍辺野古基地はいらないと選挙では繰り返し示されている。しかし、政府は粛々として進めると、基地軽減どころではない。石垣島では、自衛隊基地の受け入れ是非の住民投票が、住民の3分の1の請求で要求された。ところが、市長は自衛隊基地は国の専権事項であるを理由に、住民投票を実施しない。
 民主主義が失われているのではないか。弱者たる国民は外国人労働者と同じ扱いだ。既得権者だけが優遇される国。吉本興業に出演したアベ氏。ジャニーズ事務所に対するテレビ局忖度。日本の民主主義は、至る所で危ういところまで来ている。
 民主主義の崩壊は無関心から生まれる。おかしいことを関係ないと受け入れてしまう一人が、民主主義を枯らしてしまう。民主主義は志である。民主主義は人間の矜持であり、国家の矜持である。民主義国家でないなら、人間にとって国は迷惑なものと考えていいのだろう。
 
 

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