災いの年、転の年
今年は「災」の年だ。安倍総理大臣によると「転」の年だそうだ。一文字でその年を表せば確かにこうなるのかもしれない。自然災害は過去にないほど巨大化し、頻発している。大きな水害が、台風が相次いだ。自然災害はことしだけではない。昨年も、大きな地震があった。一昨年もあった。日本列島の災害頻発はそういう周期にあるという事なのだろう。災害の中で暮らしをしのぐしかない。昔なら遷都したいところだ。確かに大きな転が必要になっている気もする。憲法を変えようという日本の大きな転換を総理大臣が主張している。憲法を変えなければならないほど、日本が大変な状況にあるという、総理大臣の認識はどこから来ているのだろうか。安倍氏は「起承転結の転です。」と言っていた。ブログを書くときに、なんとなく起承転結で書いていることがある。三節目でそれまでと観点を変えるという事である。同じことを伝えるためには、違う角度から眺めてみるという事が必要。どうも安倍氏の視野にある、転ずるべき日本の方角とは、明治の御代なのであろうか。安倍氏の転に不安の増した一年であった。
災難と言えば、いつまでも安倍氏が総理大臣でいることが一番であろう。過去最悪の政治的災い。本人も深層心理として、多くの国民に疎まれている不安があるから、転じたいという表明になるのだろう。分からないではない。何しろ仮想敵国中国と思い詰めている人だ。あの一国主義者トランプとお友達であることが支えの人である。今までの安倍氏は自分を総理大臣にしてくれた何ものかにいいように動かされていた。もう最後の3年間だから、その傀儡政権を転じてアベ本人政権で行こうという転じ方なのだと想像している。お坊ちゃんやりたい放題やっちゃうぞ政権。という事になりそうだ。ここまでくると憲法改定を本気でやるとしなければならない。安倍一族の怨念。アベ加憲案は自衛隊を明記するだけだ。と軽く見せながら、本当の意味は普通の軍隊が持てて、歯止めなく運用できるという意味である。間違っても甘く読んではならない。軍国主義憲法に転ずるという憲法案だ。これは、多くの法律学者の指摘しているところだ。曖昧な文言に騙されてはならない。公明党の憲法案に乗じた、極めてずる賢い表記になっている。
世界が分断状況に入った。アメリカに移民させてもらおうという、崩壊しかかった中南米諸国からの人の波。その波をメキシコ国境でとどめようという、トランプの壁。この姿こそ世界の危機を表している。イギリスのEU離脱。フランスでは毎週のごとく暴動がある。米中は経済戦争の真っただ中である。日本も他人事ではない。すべては世界の経済の歪みが極限に達し始めていることに由来する。この大きな転の中で日本は、人手不足で移民法を成立させた。背に腹は代えられない。と総理大臣は言うが(バッカじゃなかろか)。ドイツまでもが、移民受入を制限し始めた状況で、日本は何の体制も整えられないまま、緊急的に人手不足解消だけを焦っている。ますます、社会の分断化が進むことに違いない。こういう状況に至れば、誰もが自分は下層に分断されてゆくと思わなければならない。自分だけは大丈夫だと立ちすくんでしまい、行動がとれない。あの時のように日本人は今思考停止。なんとなく上層に入れるという幻想。アベ政治は企業優遇政治のようだ。
私にとっても転の年であった。農業から、絵を描く暮らしに転ずる。まずは自給生活である。一日玄米3合がある安心。と30年間やってきた。これからは絵を描かせていただく。申し訳ないがこの年になれば、許してもらえるだろう。競争のない穏やかさ。人と較べず、自分の中に充実を作り出す。これを私の転にしたい。なんだかんだと言いながらも、人と較べるという事から抜けきれない自分がいる。絵を描く中で、自分の生きるを全うするだけになりたい。動ける間は小田原に来て田んぼをやる。田んぼは五月と九月小田原にいれば、なんとか出来る。みんなの田んぼであればたぶんできる。後は単発で草取りをする。こんな次の暮らしを試みてみようと考えている。9月の水彩人展。5月には絵を語る会を入れて、何とか治まるのではなかろうか。これからは皆さんにお世話になることが増してゆくのだろう。よろしくお願いいたします。