水彩人展出品作
水彩人展には3点出品する予定だ。石垣島で描いた絵。2枚が名蔵湾の絵。そして1枚が田んぼの絵。名蔵湾の絵2枚のうち一枚を絵ハガキにした。一枚が画集の為に撮影が終わっている。見ていればいろいろ出てくるのだが、一応見ているだけにして絵に手は入れない。名蔵湾の絵は夕方に描いた絵が一枚と、夜明けに描いた絵が一枚。描いた時にはどちらも納得度の高い絵であったはずだ。今見るとどうなのかなと思うが。もう一枚の出品予定の田んぼの絵だけがもう少し描いても良いという絵だ。これがまた手が出せない。自分の絵に手が出せない状態というのもおかしなことななるが、やるべきことは沢山ありそうだ。それが明確にならない。明確にならないことには手を付けない。この状態で3枚並べて数週間眺めている。辛い。20日が搬入日なので、それまで向かい合うしかない。何もしないかもしれない。できないのかもしれない。それでもこの絵と向かい合うエネルギーの高まりこそ絵を描くという事だと思っている。
結局のところ自分が何をしたいのかという事に立ち至る。描いている現場に立つと、描くべきことが見えている気がしている。何を描くべきかすっかり分かった気になりひたすら描く。問題はそこから始まる。家に持って帰ってから描き継ぐべきことの方にある。見て描くという事と、絵とだけ向かい合って描くという事は全く違う行為になる。だから写生派の人もいれば、アトリエ派の人もいる。アトリエ派と言ってもモチーフを目の前にして描くという人は、写生派と大きくは違わない。アトリエで何も見る訳でなく、絵と向かい合うだけ。自分の絵と対峙するように制作する人がいる。写生派が中川一政なら、アトリエ制作派がマチスだろう。梅原龍三郎は景色の見える部屋から、障子を開けたり閉めたりしながら描いたという。それぞれの制作だからどのやり方が優れているなどという事はない。自分の制作法を見つける以外にない。私は現場で写生をして、後はアトリエで眺めている派だろう。
私絵画は自分の為の絵である。さすがにもう人の評価は気にならなくなった。自分の何物かであるかが、この絵のどこかに現れているのか。という問いかけである。この絵が自分であるのかという確認。自分なんだから一番簡単なはずなのだが、なかなか自分が分からない。そこで自分が見ているということに戻る。見ているという自分が自分の確認の始まり。見ているという事は描くという事より、さらに奥深い。何故見るという事にこんなに喜びが籠るのだろうか。夕空を見るという事は夕空という情報を含めて見ているのだろう。夕空を描いた過去の絵の記憶情報にも観るという事自体に染められているのではないか。こういう気持ちが沸き上がる。学んだものや、いつの間にかしみ込んだものは自分でないのだろうか。たぶんそれも自分ではある。ただ、そうした雑多なものの底のような奥に、自分というものの世界があるような気がしてしまう。例えば中川一政やマチスの絵を見ていると、絵にはそういう個人の純化されたような世界があるというように見えてくる。思い込みなのか。絵の世界とは別のことなのかもしれない。
この自分に近づくような、遠ざかるような感じが絵を描いているという世界であるかのような。あるような気がするから絵を描く。絵には全く客観的な価値はない。装飾画、実用絵画、投機用絵画には社会的価値はある。居間のの壁にある。便所の壁にある。玄関にある。それはその場を埋めるためではなく、自分が自分に気付くために置いてある。思わぬ通りがかりにすべてがわかることがある。忘れているようでも絵のことばかりである。田んぼの恐ろしさという事に気づいた。生命というものの勢いの恐怖だ。押し寄せてくるみどり。田んぼは実に怖い。この怖さは命のエネルギーなのだろう。このエネルギーの満ち溢れる姿を絵になければおかしいと思っている。あのエネルギーに取り込まれた感じ。こちらにエネルギーがなければ到底対応できない恐ろしさ。暖かく、何でもない静かな田んぼなのだが、実はすごく恐ろしい場所なのだ。命がけの美しさである。自然というものはすべて命がけなんだと痛感した。自分の甘さの自覚である。