国家主義と象徴天皇の関係
接近した火星。カメラを手持ちで撮っているが意外によく映る。
国家主義というものがある。その一人なのだと思っている。それくらい日本という国柄によって自分が出来ているという自覚がある。国民国家主義と言わないと、個人の上に国家を置くような、国家封建制度と誤解されるわけだが。国民一人一人が、大切されて暮らすためには国という枠組みが重要だと考える国家主義である。日本国の場合、島国という事もある。歴史的に縄文時代から、ほぼ国としての範囲が一定で保たれてきたこともあって、独特の個性の国柄なのだろう。だから偉いとかいう意味は全くない。独特の文化伝統が出来上がった国だと考えていい。その古い国柄を残したまま近代化を果たしたのだから、特殊な国になった。瑞穂の国という言い方が、政治利用されるような国なのだ。自分の暮らしを考える上で、この日本という国や、日本語や、日本の水土が、大きく影響している。絵を描くときに日本画や書にある、伝統的な在り方の上に、自分の制作がある。中川一政の絵にある何ものかを、自分のどこかに探るという事がある。井上有一の書を見るときに書の伝統にのっとって筆触を考えている。
日本人であるという自分の中にこびりついている何かが、自分を作っているという実感がある。私の見る世界は日本という文化の色合いを帯びている。団塊の世代くらいが最後なのかもしれない。若い人の絵では伝統的な約束事のようなものがにじみ出た様には思えない。一見約束事にのっとっているかのごとき様相をしていても、少し違う感触がある。そういう事を感じてしまう事が、自分の中にある目の曇りなのかもしれない。団塊世代は明治の世代から見れば、ほとんど日本人には見えなかったのだろうと思えるが。私の中にまだ、明治の暮らしと通ずる、共通の農業という土台があったのだろうと感じることがある。稲作農業を重んずる気持ちは変わらずある。しかし、お米の一人当たりの消費が、世界で56番目だとテレビで言っていたようだ。小麦と何が違うのだろう。お米の大切さ、有難さなど聞くこともなくなった。ごはんとパンが好みの問題になった。そうなると、もう私には日本人ではなくなったように感じられてしまう。
天皇家に対する考え方も、保守主義者の天皇主義とは違う日本国と天皇の関係を感じている。そのことは修学院離宮のこととして先日書いた。イネ作りを尊ぶ文化の継承者としての天皇家である。靖国神社と天皇を結びつけるような考え方は、全く明治政府の謀略であり、間違った日本の国家観だと考えている。天皇家ほど武力とは関係のない権力的存在は少ないだろう。文を持って治める存在である。明治政府が脱亜入欧の帝国主義の為に天皇を利用したのだ。薩長の地方から出てきた武力主義者たちが、自分たちの正当性を確立するために、天皇の文化的、民族的価値を京都から引っ張り出し、悪用したのが明治政府である。だから帝国主義者の主張する天皇主義の底の浅さは私には考え違いとしか思えない。象徴天皇はその象徴性を明確にするためにも、京都に戻るべきだ。政治からは離れた方がいい。そして、日本文化の体現者として生きてもらいたい。桂離宮や修学院離宮に暮らしてもらいたい。それでこそ天皇の象徴天皇の価値が定まる。
平成時代が終わり、新しい時代を迎える。この機会に東京から天皇家は離れるべきだ。それが日本という国と天皇との関係に於いて、丁度良いころ合いになるはずだ。相変らず、天皇を政治利用しようとする勢力は後を絶たない。平成天皇は平和主義への意識があった。日本国の象徴の意味を実践の中で探った。天皇家としてもどのような人が現れるかわからない。その意味で、徳川幕府が行ったように、政治から敬して遠ざける知恵が必要なのだろう。天皇がどこまでも文化的な意味で、伝統的な意味で日本の象徴である。歌舞伎や能役者の家が、やはり一子相伝という事である。天皇という存在も意味あるとすれば、その様な意味においてのみ存在すべきである。これは天皇家には申し訳ないことであるかもしれないが。