麻生財務長官の経済認識
政権の安定があったからこそ、これまでの経済成長がずっと継続性を持たせられたのは間違いない事実であって、5年前より今の方が悪いという人は、よほど運がなかったか、経営能力に難があるか、なにかですよ。ほとんどの(経済統計の)数字は上がってますから。―――麻生財務長官の発言。朝日新聞
麻生財務長官は5年前より今が悪い人は、自分が悪いからだと。こういう経済判断をしている。これが日本の財務大臣の言う言葉かと思うと、本当に情けない思いがする。2012年12月 の第2次安倍晋三内閣発足以来財務大臣を担当してきた。その結果財務省がめちゃくちゃになったことをどう考えているのだろうか。麻生氏は論理的ではない。どちらかといえば親分肌の情の人のようだ。欠点はあるが、有能という人が好みのようだ。そして親分に従う子分が好きなのだ。そういう財務大臣が長期化すると、このようなひどい財務省になるのだ。福田事務次官のセクハラ行為。財務省の隠ぺいしようとする対応。その姿勢が2次被害をもたらそうとしている。そして自分の行為をしらを切り、裁判で争うとする人間とは思えないような卑劣さ。優秀であるとされる、官僚がこのように人間崩壊をしている原因を考える必要がある。
農業のことを考えれば、まさに政府の運がなかったというしかない。農家の方で5年前より良くなったと思える人は居るだろうか。確か企業化した大型農業では、補助金が出ているから、経営の良くなった所もあるのかもしれない。数字的にはそれなりのものが出てくる。しかし、そのことによって、個人経営規模の農家はさらに厳しい環境に置かれたという事になる。主業農家の17年度の総所得は前年度より6%減少した。労賃の上がる時代に、総収入が下がるという事は運で済ませられない。財務省の考えに農業のことが入っていないという事がわかる。日本全体のことを考えれば、農業は悪くても仕方がないし、経済全体への影響も少ない。こう考えているのだろう。こうした企業中心の考え方が、日本社会に格差を生む結果になっている。
今苦しんでいる人は、努力が足りない、能力が足りない、運が悪い人と切り捨てらえる社会なのだ。農業をやっている人は判断力のない人というのが、麻生的発想なのだろう。確かに麻生氏は農業には興味もないだろう。食べるものは輸入すればいい程度にしか考えていない人なのだろう。農家の人は日本政府のそういう本音を見抜いているから、先祖伝来の大切な農地であるにもかかわらず、自分の子供に継がせようとは思わない。これが地方の消滅に繋がっている。地方再生の本来の目的が分かっているのだろうか。農業者が故郷を捨てるには人間として、よほどの苦しい選択があるのだ。そのことが少しでも分かっているだろうか。多くの農家に生まれた子供たちも、親の気持ちを分からない訳ではない。辛い気持ちを互いに抑えて、就職をする。それで良かったといいながらも、自分で終わる農家の長い歴史を、仕方のないことではあるが、ご先祖に申し訳が立たないという思いを抱えている。能力があり、運のよい人である麻生氏にはそんな農家の思いにいたることがない。
美しい国土があって、日本なのではないのだろうか。その美しい国土が、自分たちを支える食べ物を生産する場であるという、有難さと喜びが、瑞穂の国日本ではないのか。人間がより豊かに生きるという事を失い、日本人という個個人が単なる労働力として見られ、ロボットと同じような立ち位置で良いのか。日本国が世界の中で、安定した位置を得るためには、日本の文化である。天皇家にその見本があると考えればわかりやすい。それが日本の象徴という意味ではないか。祖先を敬い、子孫の繁栄を願い、芸術を愛し、学問にはげみ、平和を愛し、安寧な日々の暮らしを大切にする。それを形に表したものが、後水尾上皇の造営した修学院離宮である。ホリエモンならば大金を稼げばそのくらいのものは作れるというだろう。ところがそう簡単ではない。文化というものが根底になければ、この時代の修学院離宮を作ることができない。