憲法9条に自衛隊明記
自民党憲法改正推進本部は二十二日の全体会合で、九条改憲に関し、戦力不保持を定めた二項を維持して自衛隊を明記する方針を決めたーー東京新聞
自民党は自衛隊を憲法9条に明記する案を決めたらしい。決めたという話だが、そうなのかというくらいぼんやりしていて、この恐ろしい場面に何か現実感がない。細田会長に一任という事で、こんな重要な問題を異論がありながら一任という意味が良く分からない。自民党には理性とか、論理性とかいうものはないのだろうか。私には、細田氏がどういう文章にするのかの想像が出来ない。安倍氏さえ総理大臣から降りれば、憲法改定の話は消えてくれるのではないかと、人頼みの様な頼りない心境である。これはでたらめ日本への岐路である。そこそこの武器を保持して、核保有国中国と対抗しようという愚かな発想が哀れだ。展望なくアメリカと戦争したときの愚かさ以上の馬鹿げた方針の間違いである。日本は核武装できない国なのだ。加えて軍事費に大きく支出をする余力もない国になっている。中国と軍事的な対抗をするという発想を変えなければ日本は危機に追い込まれる。世界を見渡せば、小さな軍事力のない国であっても、普通に存在する。小さな国の巧みさに学んだ方がいい。日本は軍事力でない平和を進める国になる選択をする他道はないのだ。
自衛隊が現実にあり、その存在基盤が憲法に保障されていない。自衛隊の存在を現実に併せて変えようという事が自民党の主張だ。それは自衛隊を、いわゆる軍隊に変えようという意図が背景にあるに違いない。段階を踏んで徐々にそのように変化させられてきた。今や、装備という側面では明らかに軍隊である。しかし、核武装した国と戦う事は不可能である。それは北朝鮮の戦略を見ればよく分かる。アメリカに核ミサイルが打ち込めるかどうかで情勢が変わる。以前北朝鮮はアメリカとの直切対話を繰り返し希望した。ところが、アメリカは2国間交渉を拒否し続けた。ところが核ミサイルをアメリカまで打てる可能性が出てきた途端、2国間交渉をむしろ希望するようになった。軍事力とはそういうものだろう。日本は核武装は出来ない。核攻撃を受けた国であり、核の拡散は世界を崩壊させると主張し考える国だからだ。それが敗戦より学んだことであり、世界中に多大な迷惑をかけた国としての、謝罪という事でもある。
一方に、敗戦という事を違う受け止め方をしている人たちがいる。安倍総理を代表とする、日本の怨念集団である。その中には籠池氏のような人もいる。ヘイトスピーチをやるような人もいる。街宣車で乗り回す、右翼と呼ばれる人もいる。石原慎太郎氏をはじめ日本の保守政治家にも多いいのだろう。日本会議というような組織もある。企業人にもいるのかもしれない。産経新聞などの報道機関も、そんな考えを持っているのだろう。テレビを見ているとそいう評論をする人も時々いる。優秀な日本人がもう一度軍事大国になって世界を指導する。というような、訳の分からない暗い野望というようなものを感じる。それは私の恐れるあまりの、幻影にすぎないのだろうか。本当のことなのだろうか。
自衛隊という時に、アメリカの要請によって警察予備隊が出来た時から、その存在の曖昧さは当然つきまとうはずだ。アメリカが押し付けた憲法というのであれば、アメリカに押し付けられた自衛隊もおかしいなものであろう。自衛隊は警察予備隊に戻せばいい。そうすれば、憲法に明記しないとしてもその存在は明確に位置付けられる。警察の一部として、災害救助をはじめとして、国防を含めた緊急事態に対応する組織である。その方が憲法違反に明確にならない組織になる。現状自衛隊が災害支援を行う時に、何か本来の目的ではないことを、親切心から対応してくれているというような印象が作られる。それは自衛隊という名前が良くないだけだ。警察予備隊であれば、災害救援に緊急出動することは、行うべき業務になる。警察の業務の中に国防という事を加えればよいのだろう。軍事力は世界を崩壊させるためだけに作用している。世界がおかしいからといって、それに合わせなければならない理由はない。日本は平和憲法に基づき、まず尖閣の解決のための平和的努力をすることだ。