名護市長選自民公明候補の選択
名護市長選で現職の稲峰市長が敗北した。自民公明候補の新人が勝利した。極めて残念な結果であるが、これも地域住民の判断である。尊重しなければならないのだろう。一番の原因は公明党が自主投票から、自民党候補の支持に変わったという事にある。何故、公明党が辺野古米軍基地に賛成したかである。公明党が平和の党ではなくなってきたからであろう。公明党も長年自民党との連立を組んでいる。この間に変貌をしている。前回の衆議院選挙で公明党が敗北したことが要因になっている。自民党との取引の実態が変化してきたのだ。ここに公明党内部の反省と選挙対策の変化が生じた。公明党の票はすべて自民党候補の上乗せになるにもかかわらず、自民党支持者からの見返り投票が少なかった。創価学会あげての全力投球だったという。名護選挙で公明党の寝返りで、自民党候補が勝利すればアベ政権に大きな恩を売ることができる。こう公明党は考えたのだろう。
そして、公明党の思惑通り、名護市長選挙は自民党候補の勝利になった。米軍基地辺野古移設を反対する名護市民が多いことは今もそうではあるが、そういうこととは別に選挙では動くのが公明党である。今回のこの選挙で見えてきた、公明党の汚いやり方が日本を変えようとしている。自民党候補は辺野古移設に関して一切発言しないという公明党との約束があったのだろう。発言すればさすがに公明党の名護市民の支持者から反発が起こる可能性があった。こうして、辺野古米軍基地は出来ることになりそうだ。民主主義である以上これも、地元住民の判断が示されたとする以外にない。この先辺野古米軍基地によって問題が生じた場合、その責任のかなりの部分は公明党にあるという事だけは確かだ。今こうして日本の政治を変えているのが、公明党である。たぶん憲法の改定に関しても、アベ政権と話がついていると考えなければならない。
現職の稲峰知事がアベ政権の辺野古建設実施したにもかかわらず、阻止できないという現状が名護市民の心を変えたという事もあるだろう。沖縄の人たちの県民性の一つに受け入れる心というものがある。批判する心も強いものがあるのだが、仕方がないことは仕方がないとして受け入れて生き抜く強さというものがある。それが沖縄の歴史から得た教訓なのだろう。沖縄をアメリカの対中国の前線基地にされるという、理不尽な現状を少しも変えようとしない。変えようとしないどころか、沖縄をアメリカのやりたい放題に人身御供にして日本の安全保障にしようという、アベ政権の薄汚さ。何が、沖縄の負担軽減であろうか。沖縄に米軍基地負担を増加させてきたのが沖縄返還後の日本政府だ。もし、アベ政権に人間の心があるのなら、日米地位協定の見直しを主張するはずである。空念仏のように米軍にお願いはするが、一切無視されている現状をどのように考えればいいのだ。
日米地位協定の不平等は、日本が独立国家ではないという事を意味している。アメリカは本音を出してきている。アメリカファーストである。アメリカの為に日本が利用できる間は利用させてもらえばいいという本音だ。もし、中国の方がアメリカの利益になるという判断がされれば、日本は切り捨てられるだろう。もうすぐ日本より、中国の方がアメリカの利益になるだろう。経済至上主義というものはそういう結果になる。ロシアとアメリカは対立が続くであろうが、中国とアメリカは経済的につながりを深めるはずだ。その時に、アベ政権の中国敵視政策がいかに馬鹿げたものであるかがわかるはずだ。日本は中国敵視政策をやめ、アメリカと距離を置く必要がある。小金持ちになった日本は、恐怖で自立心を失っているのだ。アメリカに守られていなければいられないような、弱い心の民族になってしまった。世界中にそんな意気地のない国は一つもない。軍事力があろうがなかろうが、どんなに小さな国であっても誇りを持ち、独立心を持ち、生き抜く決意がある。名護市長選のショックがまだ続いている。日本の未来は果たしてどうなるのだろう。