オウム事件菊池直子氏の最高裁無罪
菊池さんの無罪が最高裁で決定された。当然のことであると思うが、17年の逃亡生活。そしていまだつきまとうサリン事件の犯人という、世間の思い込み。99人の犯人を取り逃がしたとしても、一人の冤罪を産んではならない。菊池直子さんは高校を卒業してオウム真理教団に入信する。それは、オウムの後継教団に今もって信者が入信する現実から見れば、今現在の社会がそういうものと考えるしかない。それは若年層の自殺願望が深刻化している社会の現実にも見られることだ。オウム地下鉄サリン事件が、あまりに深刻なテロ事件だったがために、オウム教団全体に対して、世間に大きな偏見が生じたのだ。オウムはサリン生成を教団内部でも極秘事項として進めていた。空から毒ガスがまかれているなどという、ウソを信者に思い込ませてサリンガスの洩れてくる被害をごまかしていたのだ。菊池直子さんの手記がヤフーニュースにある。手記を読んだうえで真実をそれぞれで判断するべきだ。サリン事件には全く関与していないという事は、起訴さえされていないのだから当然であるが。
世間というものは悲しいことに生贄を求めている。サリンテロ事件という理解しがたい事実を前に、判断能力を失う。どのようなことが起きたのかを判断できないことに対しては、誰かを悪人にして、血祭りにあげることが社会の常だ。あの松本サリン事件の冤罪においては、個人がサリンなど住宅内で生成できるわけもないのに、そばに住んでいた被害者の一人を犯人と名指してしまった。その人のプライベートを洗いざらい報道して、この事件を何とか報道の理解できる枠内に収めようとした。この時に、もしこの事件に直面した報道の中に科学的知識のあるものが一人でもいれば、地下鉄サリン事件は防げたかもしれないのだ。訳の分からない報道の様子を見て、オウム教団はしめしめと思ったはずだ。それが地下鉄サリン事件に繋がっていった可能性も否定できない。地下鉄サリン事件の起こる1時間前に、あの日は水彩連盟の搬入係で、あの地下鉄に乗っていた。他人事とは思えないのだ。
なぜ、今も菊池さんへ誤解が解けないのであろうか。それは裁判というものが、藪の中だからだ。真実は一つである場合でも、様々な見方が起こる。現実社会においては、真実が1つではない事件もままある。例えば爆弾を運んだとしても、運んだものを爆弾と認識していたかどうか。こうしたことは本人にも知らなかったという証明できないこともある。安倍氏が国会で悪魔の証明と弁明したことと同じである。裁判においては、怪しきは無罪という事になっている。しかし一人一人の人間というものは、勝手な判断を行ってしまう。真実は藪の中だと。曖昧なままでいられないのだ。ああ言うが本当は犯人だよ。むしろ、怪しきを犯人と思い込みがちなものだ。その為に起訴さえされなかったことでも、検察が調べきれなかったとしても、本当は犯人だよ。こういう恐ろしい思い込みが行われる。それは報道による冤罪事件。週刊誌は販売部数増加の為に、面白い方に傾く。だから、17年も指名手配で逃げつづけた人物という事が面白おかしく取り上げられる。いつの間にか、サリン事件犯という汚名まで付け加えた。
最高裁の無罪決定後、菊池さんはテレビ画面で短いコメントを出した。菊池さんという人間は、オウム入信するという様々な苦悩があったのであろう。オウム体験。逃亡。ひどい世間の冤罪攻撃。そして逮捕、収監。この中でこの人は、人間を磨いたのだと思った。大変なことではあったが、前向きに向かい合っていた。立派な人のようだとお見受けした。冤罪から、世間の思い込みを受けて、いまだ大変つらい状況であろうと思う。そうであっても、これからの人生をより有意義なものとして生きられるに違いない。確かにオウムに入りたくなるような、歪んだ社会なのだ。オウムは良くないとは思うが、そこに追い込んでしまう、過酷な競争社会がある。ダメでもいいじゃん。私は繰り返しそう思うことにしている。ダメをダメであるとわかり、それなりにやってゆく。絵描きになるという夢を子供のころ抱いた。しかし、残念ながらダメだった。ダメだけど絵は止められなかった。それなら、ダメな絵をダメなように描いてみようと今を生きてゆく。