障碍者殺傷事件
津久井湖の障碍者施設で、重複障碍者を狙った前代未聞の19人の殺人事件が起きた。友人のお姉さんがこの施設のそばの同じ法人の関連施設に入居している。ここは県営の施設であったものが、現在は福祉法人が外部委託で運営している。5つほどの施設を運営していると言われていた。今回の事件で障碍者が世間から隔離されてゆくことを心配していた。この方のお姉さんは一年ほど前に施設に入居した。私と同世代であるが、最近まで一緒に暮らしてきた。ついに限界に達し、大いに悩まれて、泣く泣く施設にお願いすることにした。何度もその選択を私に仕方がないと口説いていた。充分面倒の見れない家にいるより幸せだと言われていた。よく面倒を見られているので立派な人だと思う。入所は本当に辛そうだった。その施設が良い施設であると自分を納得されるように何度か話されていた。今度の事件後に気になって会いに言った時には、深い衝撃を受けていることが分った。管理が厳しいものになるに違いない。隔離されたようなことになるだろうと、どうする術もないと嘆かれていた。
この事件を犯人の個人的な問題にすることは出来ない。日本社会に起きている、深刻な病巣を反映したものだ。この施設で4年も働いていた人間が起こした事件である。しかも、障碍者排除の確信的な犯罪である。障碍者を排除することが、日本国の為になると、衆議院議長に直訴までしているのだ。ヒットラーを思い出す。イスラム国を思い起こした。オウム事件も思い出した。自分勝手な論理にはまり込んでゆく人間。初めから入所者を軽んずるところはあったらしいが、最終的に障碍者の安楽死を主張するようになって、退職させられることになった。その時、こういう事件に繋がることはだれか予測できなかったのものか。この犯人はインターネットを通して様々な意見を動画で掲載している。友人の証言もある。その痕跡をたどると、恐怖で吐き気がしてきた。人間の恐ろしさである。ここまで人間は残酷な論理に落ち込むものだと震撼した。それらの情報が一か所にまとめられれば、事前に事件を抑止できたことだろう。
世界中でこのようなことが蔓延を始めているのではないか。最近犯罪の傾向が変わり始めている。食べも物もなく追い詰められて、犯罪に走るというような原始的ともいう犯罪は減少し。親が子供を殺してしまうような、家庭内の犯罪の増加。そして、意味不明の無差別殺人。社会がどこかに追い詰められ歪み始めている。余裕が失われてきている。競争社会の結果起こる、格差社会が弱いところにその膿を吹きださせている。極端な競争社会においては、障碍者がお荷物だという意識が生まれる可能性はある。国際競争に勝つためには、人間を大切にするような価値観は失われてゆく。人間存在を物存在として、経済性の中で見てしまう。助け合い共存するような精神が社会から失われようとしていることが、障碍者排除につながったのではないか。これが始まりでなければいいのだが。
行政は建前として共存する地域社会を必ず主張する。しかし、その実態は行政の負担軽減という経済性が見え見えである。地域社会の喪失がこうした社会の歪みの原因になっている。本来の共存する地域社会とは、暮らし全体が助け合う形で出来ていなければ成り立つものではない。新たな地域社会を作り直す時になっている。暮らしの中で何らかの基盤を共にする、テーマごとに集まるグループを作り、共助の連携を作り出す。子供会は子供の暮らしや、教育という事で共通の目的を持てる。そこでの共助を地域の共助に繋げてゆく。農業をやる人であれば、農業の目的で集まることができるように、農協の中の協働性を再構築する。同じ趣味の集まりでもその集まりが、地域の共助の仕組みに繋がるようにする。ただそばに住んでいるというだけでは社会を形成できなくなっている。共助の精神が失われているから、自治会の解散すらできない状態なのだろう。