「美術の窓」の新人特集号
美術の窓という雑誌を一年間だけ購読している。6月号は新人大図鑑2016 次に「来る」のは誰だ!という特集だった。若い絵を描く人と接する機会もないので、50年前と同じように若い人たちが絵を描いて居るのだという事にかなり驚いた。もう画家を目指すような、つまり次に「来る」ような若い人などいなくなったのではないかと思い込んでいたからだ。200名ほどの人が挙げられている。20代から40くらいまでのようだ。公募団体に作品を出すような人はほとんどいない。公募団体から次来る人はいないという点では同感である。90の画廊からの新人の紹介と思われる一覧もある。新人を紹介できる画廊が、90もあるという事が信じられない。卒展から編集部で見つけた新人という特集もある。次に「来る」という以上来るべき絵画の場所がまだあるという事なのだろうか。私はそいう場があることすら見えなくなっている。絵画はすでに社会的な意味での芸術ではなくなっていると思い込んでいる。
実は毎年この雑誌ではこういう特集を例年6月に行っているらしい。という事は少なくとも毎年200名を超えた人が美術の場に注目される新人として送り込まれているという事になる。信じがたいことなので、心底驚いた。過去10年この雑誌がこうした企画をしているとすれば、取り上げた2千人の中から、今現在来ている人は何人いるのだろうか。この雑誌や画廊が来るだろうと考えた選球眼は当たっていたのだろうか。もし10年で20人ぐらいはいたとすれば、1%の確率だからかなり高いともいえるわけだが。たぶん、20人も画家として来ているといわれるほど活躍している人はいなかったのではないだろうか。私が知らないだけなのだろうか。この雑誌が来たというような、そいう世界が私の知らないどこかにあるのかもしれない。幻影ではないのだろうか。恐怖を覚えるとともに、この雑誌を見入ってしまった。
この雑誌は、水彩人の事務局という立場で仕方がなく、(まあ、そんなことを書いてはいけないのだが)1年間だけ購読した。年間購読料が19、200円もするのだ。水彩人の展覧会も取り上げてもらっている。5月号では水彩人代表の橘さんが写生についての特集をされている。私の絵も掲載してくれることもある。購読を頼まれて、事務所として断り続けることも出来なかった。他の美術雑誌が無くなる中、この雑誌は出版が続いているのは、何人かいる営業の人たちの努力によると思う。すべての公募団体に出向き営業努力をしている。東京の画廊は必ず出向いていると思う。そうした公募団体関係者と、個展発表者の掲載と勧誘で維持されている雑誌。その昔美術の窓に掲載されたときに地方の友人が探してくれたのだが、そのような本は見つからないといわれた記憶がある。たぶん書店には余り置かれていないのだろう。大抵の書店に美術月刊誌が10種類ほど並んで居た時代があった。私など美術手帳は必ず読んでいた。各新聞にも公募展の評のような欄があった。そう思うと美術評論家の活動の場が無くなっている。
私がこの特集に恐怖を覚えた理由は、新人たちの絵は私が絵を描きだしたころとさして変わらないことだ。50年前の大正時代の新人の絵画は全く違っていた。ところが私が絵を描いてきた50年では、新人の絵がほとんど変わっていない。その仕事には先がないという仕事を50年間繰り返している。美術界全体の徒労の姿に恐怖したのだ。美術などというものはそういうものかもしれない。美術はこの50年何かを生み出したのだろうか。芸術として、学問として、教育として間違った方向に進んでいやしないだろうか。文化としての背景が絵画には失われている。人間にとって何のための美術なのかという、芸術としての最も重要な方向を見失っているようだ。と思いながら、この雑誌が紹介している膨大な数の絵は、社会性を失っているのかもしれないと思いつめた、暗い気持ちが自分を覆った。