広島オバマ核廃絶の希望
5月27日、アメリカの大統領オバマ氏が広島を訪問した。そして核廃絶を人類の希望として語った。このことの重要性を考えなくてはならない。改めて書き起こされた全文を読んで見た。素晴らしい演説であったことが確認できた。確かにプラハ演説で呼び覚まされた核廃絶の希望は、オバマ氏には実現できなかった。実現できなかったとはいえ、もしオバマ氏でなければ世界はどうなったのかという現実もある。2つの強大な核保有国アメリカとロシアが、対立を深める7年間であった。核保有数はこの間たったの5%の削減にとどまってしまった。そして、中国の核保有の拡大。北朝鮮という新たな核保有国の登場。そして今や、アメリカによって、日本や韓国の核保有の容認という意見まで登場してしまった。オバマ氏は自分が生きている間に、核廃絶は無理かもしれないと語った。確かにアメリカは銃規制すらできない。いまや世界は次の戦争に突き進んでいるかに見える。未来を想像するに人類の破滅が近づいている感すらある。
最大の核保有国アメリカの大統領が、自らの核削減を出来なかった。今からでもアメリカ地震の核保有を1個でも減らす努力をしてもらいたいものだ。オバマ氏の演説にある核廃絶の希望は、真実の言葉と感じられた。にもかかわらず、現実の世界は核の危機が一層膨らんできている。だれにも止められないことなのではないかという恐怖すら覚える。しかし、核廃絶の希望を捨てた時、人類は終わりを確実に迎えるはずだ。核廃絶の困難さは競争主義である。人間が競争を乗り越えられるかである。オバマ演説の中でもその人類の誕生とともに、武力が産まれ、人が人を攻撃する歴史が克服しなければならないものとして語られている。そのオバマ氏が核廃絶の困難さを一番痛感している人ではないだろうか。それでも希望を捨てない事だけが、人類が生き残る唯一の道であることに変わりはない。アメリカは圧倒的な核保有国であり、その核を削減できない苦しみの国だ。オバマ氏からトランプ氏になった時世界の危機は間違いなく一歩近づく。
世界平和が可能な国は、日本だけだと考えている。日本の平和憲法の平和への理想主義は、人類の希望だと思う。日本はアメリカの核の傘の下に取り込まれてはいるが、核保有をしていない国である。アベ氏はオバマ氏に続いて、見事な核廃絶論を語った。それは、オバマ氏以上の理想論であった。余りに見事なものなので、信じていいのかと疑いはするが、あえてここは信じて、核廃絶の一歩をぜひアベ政権に進んでみてもらいたい。すでに人類は3回絶滅するだけの核を保有しているという話を読んだことがある。だから、今の3分の1まで核保有量を削減することは、難しいことではないというのだ。核に頼る軍事バランスが世界の歯止めであるという現実がある。中国は着々と核保有量を増やしている。その中国の外務大臣は、日本人は南京の加害責任を思い出し、原爆の被害を隠れ蓑にするなと、オバマ広島訪問に対して強い反応をした。核軍縮の動きを、中国が拒絶する構図に話が及ぶことを畏れているのだろう。
アベ政権は原発事故を起こしたにもかかわらず、高い電源の原発を再稼働させている。さらに原発輸出を推進しようとしている。これは核保有国を増加させることに繋がる。被爆国日本の道ではない。北朝鮮の核保有は使用を前提にしたものと考えなくてはならない。もし、イスラム国が核保有したとすれば、ためらいもなく使用するだろう。人間はそうした狂気に突き進むものと考えなくてはならない。世界の格差はさらに深刻化してゆく。核保有のバランスによる危うい平和も、もうそのバランスを保てなくなり始めたと考えた方が良い。幼稚な冒険主義や、自爆主義が広がってきている背景には、希望の失われた格差社会が存在する。このままでは自滅すると思うから、狂気に走るのである。狂気の核攻撃を防ぐことは誰にもできない。競争の原理に従う、資本主義の悪い側面である。平和の世界構築をするためには、能力主義に調整を加えてゆく以外にない。食糧の自給、世界企業と国家の関係の見直し。遠回りでもそういうところからやり直す以外に道はない。