10俵とる稲作

   

6月2日 田植え5日目の里地里山の田んぼ

6月10日田植え14日目の里地里山の田んぼ

面白い生育だ。どうなるか興味深い。

自然に従う方法で、1反10俵収穫する稲作を目指してきた。その挑戦は実に面白い経験だった。日本の稲作ほど、様々な見解が展開されている農作物はない。それは稲作が主食であり、信仰であり、給与であり、経済であるという日本の基礎であったからだろう。現代農業でも毎月記事の一番多いいのが稲作に関するものだ。7月号に「中打ち八へん農法」というものが出ていた。富山県砺波の宮永という人が一七八九年に書いたものにあるそうだ。中打ちとは中耕すること。中打ち八遍犬が餓死すると書かれているそうだ。犬が死ぬというのが、くず米が無くなるという意味だそうだ。さておかしい。豊作ほどくず米は増える。長年くず米を鶏の餌として集めて来て、今の農業では間違いなくそういう結果である。くず米が減らすことを語った考えた方が良いのか。しかし、この農法をされる山形の荒生さんという方は、多収技術だと考えられているようだ。

どのようなことでも始まる前に、イメージトレーニングすることが大切である。一年の流れを想定する。そして、その総合としてやれることをやる。想像というものはやれない理想になりがちなのものだ。

「あしがら畝取り唄」

5俵までは、捨てて置け

6俵の当たり前は、苗作り

7俵取るのは、草取り、草取り

8俵望むは、土づくり

9俵上がるは、苗肥、穂肥

10俵決めるは、コロガシばかり

こんなイメージを持って稲作に取り組んでいる。何も考えずとも5俵は取れる。良い苗なら、かなり悪い条件の田んぼでも、手抜きの稲作でも六俵ぐらいは取れる。そこで草取りを徹底すれば、七俵までは行くものだ。八俵まで取るにはどうしても土づくりが必要になって来る。土づくりと一言で言っても、自分の農法に適合する土づくりである。そして、九俵はなかなか難しいのだが、一年を通した、田んぼの肥料である。冬場どうするか。田植え前の肥料は。そして追肥や穂肥が的確であれば、九俵の米作りができる。江戸時代の稲作では十俵とるなどというのは、現代の多収米での一トン取りに匹敵するものだっただろう。化学肥料を使わない農法では相当に困難なことだ。自然農法では江戸時代同じ土俵の話である。砺波の宮永さんも私も条件は違わない。目標の一〇俵を目指すにはコロガシを繰り返す以外にない。酸素を送り込み土壌発酵を良い方向に導く。これには宮永さんと同じ結論だ。縦横二回の合計四回のコロガシと夏の拾い草が条件。

有機農業では腐植の増加が重要になる。藁を戻すとか、燻炭を戻すとか、そして緑肥や雑草を栽培する。土づくりであり、抑草技術である。生の緑肥や藁が漉き込まれるため、田んぼでは発酵が起こり湧いてくる。ガスが発生して泡が上がってくる。土壌がふわふわ状態になる。稲の根がガスにより痛めつけられる。ここをどのように乗り切るかが、重要になる。ガスが湧くこと自体は悪いことではない。ガスの種類にもよるが、発酵が起きガスが湧くのは当然の結果。土壌の匂いをよく覚えておく。沸きと言っても良い沸きもあり一概に悪いとは言えない。良い発酵土壌になれば、それが稲が吸収しやすい肥料になってゆく。重要なことは微生物の活動の活発さである。酸素が重要な要素になる。水を流して管理する。土壌のタテ浸透も必要になる。沸くという一面悪いことを総合として良いことに変える必要がある。それがコロガシである。田んぼに入ることが良いというのは昔から異論のないところだ。ともかくドジョウの攪拌を繰り返すことで、発酵に酸素が供給され良い方向に進んでゆく。

水管理はこのすべてを綜合し生かすためのものだ。水管理がなければ、稲は刈れてしまうだろう。良い苗を作るには水管理である。水温の的確な管理で根を作る。肥料を適切な成長段階で利かすためには水管理である。干田の意味と間断灌水。天候の変化予測と水管理。土壌の腐敗に対応した水管理。田んぼは面白い。また行きたくなる。

 

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