「日本死ね」のものすごさ
「日本死ね」という言葉の力はすごいものがあった。一つのブログが国の政策の転換を図っている。このブログに不満な人は、了見の狭い日本主義者というか、右翼という事なのだろう。安倍氏の一番痛いところをズバッと下卑て突いている。この一つの言葉で、待機児童問題が一気にクローズアップされた。言の葉は心の声。匿名のブログなので事実かどうかわからないと答えさせ、安倍氏の陳腐さを上手く浮かび上がるようになった。安倍のお坊ちゃんがいかに世間知らずかを図らずも露呈した。20年前からの政治課題だ。誰もが待機児童が溢れてきていることぐらい知っている。この当たり前化している現実を、無いことにしようとした安倍氏の醜い姿が晒された。多分ニホンシネの言葉に反応してしまったのだ。どんどん自民党は偏狭な保守化し頑迷になり始めている。ポロポロ本音が零れ落ちてくる。女性の活躍社会を、女性は子供を2人以上出産する社会と考えているようだ。どうも女性の活躍の方向が分かってない。
日本は格差社会から階級社会へ、一歩踏み込んだ。しかし、階層という新しい言葉を使わければ、社会の実態が見えてこなかったのだ。金持ちと貧乏人の2分化。「日本死ね。」という悪い言葉を使うことで、そのやけのヤンパチにならざる得ない心情が表現できたのだ。そしてその悪が、悪の元締めの日本日本と口先で日本主義に媚びる総理大臣に向ったのだ。だから、安倍氏は国会答弁で、ムキになってそんな匿名の投書など嘘だとつい見えを切ってしまったのだ。もしかしたらこの人は日本の実態を知らないようだ。日本をあまり大事に考えてはいないのではないかという事まで、垣間見えた。しかしブレーンの方はさすがにぶれない。忽ちに安倍氏は元の木偶人形に戻された。また口パクで耳障りの良い、無意味なことをしゃべりだした。待機児童対策を一般から公募するとはびっくりポンだ。電通方式か。
何故こんな簡単な、又大切なことが解決できないかと言えば、政治の方向が違うために無視されているのだ。コンクリートを作ることには、与党政治家は本気になる。年寄りにお金を配るには気前がいい。ところが、保育園はもうからない産業分野の上に、対象人数が少ない。都会では保育園が民間の仕事として成立しにくい。場所、人、行政の壁。その為に、ときどき事故が報道される無認可保育所のような、条件の悪い事例が現れる。資本主義では経済優先、受益者負担で行き届かないところができる。何らかの公共の手助けがない限り、子供にとって良い保育所が増えることはない。しかし、票にならないところには税金は投入されない。政治が何を目指しているのかがこういうところに表れているのだ。口先で、成人式の市長が、学校の校長が生徒に、産めよ増やせよの精神論をぶつ。くだらなすぎる。まずその前に、待機児童をなくすのが先だろう。
女性活躍大臣とか、産休議員とか、看板倒ればかりではないか。お金がない訳ではない。若い人は選挙に行かないから、票にならないところにはお金が行かない政治なのだ。選挙に行く年寄りには、ポンと3600億円だ。これで1000万票買えたと政府は考えている。待機児童は公表で4300人。3600億円使えば保育園問題は解決できる。お金の使い方が違うだけなのだ。待機児童問題を考えると、いかに少子化対策が口先であるかがわかる。政治家は議員職に就職し、選挙のためのに政治をしている人間と考えた方が良い。政治はお金がかかると言いながら、実は選挙のために大半のお金を使う。選挙は政治だという人すら議員には存在する。政治をダメにしているのは選挙制度だ。政策選挙にならなくてはならない。安倍政権は衆議院の解散のお題目を消費税の増税の撤回としようとしている。こんなことに騙されたらダメだ。