籾洗い
こんな所に種籾は置かれている。
籾洗いは毎年、春分の日に行う。今年は3月21日であった。今年行った籾は、メダカ田んぼ分の「山田錦」1キロ。 「喜寿糯」2,5キロ。「サトジマン」15キロ。吉宮田んぼの「サトジマン」3キロくらい。を行った。籾洗いは塩水選の事である。春になり、稲の種である籾に春を告げる作業である。自然に自生する稲は河畔の作物である。自然の稲は秋に、みのり冬の間に倒れて行く。川は冬の間水かさを下げて、稲の有った河畔の場所は湿地状態になり地表に出ている。春になり、徐々に川は水位を上げて、河畔の稲を水没させてゆく。そして、水温も日に日に上がり、15℃を迎える。そして発芽となる。冬の間いだ寒さの中に眠っていた稲が眼を覚まし、新しい生命を芽生えさせるという事なのだろう。この自然の摂理に出来るだけ従って、稲作を行いたいと思っている。そこで、春分の日に稲を水に浸けて、春になった事を知ってもらう事になる。そもそも籾洗いという言葉がある訳ではないかもしれない、余りに良い言葉なので、使っている。
水路排水口に置かれている。
種籾には水の記憶があるのではないかと推測している。この雨は違うな、この川の水こそ自分が発芽すべき水の記憶ではないか。そうして目覚めてくるのではなかいと考えている。だから、田んぼに入る水に種籾は浸したい。塩水選であるが、軽い殻の籾を取り除き、実った種もみを選抜する。一般の稲作では、1,12%の塩水で行う。10%以上の塩分は入れると言う事になる。しかし、そこまできつい選抜する事はなんとなくしっくりこない。良い種籾が良い稲作の継続にはならないと考えている。種もみを永続して、自家採取して行くためには、そんなにきつい選抜を行う事は、危うい気がしている。むしろ平均的である事が、永続性の一つの方向である。だから、田んぼの中でも良く出来た所というより、平均的な所から種籾は残す事にしている。そして、海水には、3,4%の塩分を含んでいる。1.025%になる。塩水選と言えるほどの塩分はないが、調度ころ合いではないかと考えている。江戸時代には塩水選はないようだ。苗代での苗作りでは、自根で成長するから、種の栄養分は小さな要素になる。
しっかりと結びつけてある。
同時に、海水という総合的な水に、先ず出会ってもらうと言う事も大切な事になるかもしれないと、考えている。海水に充分に浸けて浮いた空のもみ殻を捨て去る。おおよそ10%くらいの種籾が取り去られる。もち米の方が通常浮く籾が多いい。この時に今年の稲作の願いを込める。特段柏手を打つとか、頭を下げると言う事はしないが、気持ちとして、一つの儀式として、今年も良い稲作が出来るようにとお願いをする。年々、そういう気持ちになった。それくらい、自然の気まぐれに影響を受けてきたという事である。ほんの一瞬の晴れ間が救ってくれた事もある。こうして自然に準じた稲作を続けていると、自然という物の絶対的なありがたさを感じざる得ない。海水で籾洗いするという事も、一種の祈りである。山に降った雨が海に帰る。それを繋ぐのが、田んぼである。すべての物、放射能さえ含めて、良いものも、悪いものも、すべてを飲みこんでいるのが、海という総合である。海の中には母がいるとはよく言ったものだ。
今年の朝の水温である。10℃毎年、こうして水温を計っていると、少しづつ水温が上がってきている事が分かる。昼間再度計ったが、やはり10℃であった。27日12度になる。4月4日13度になる。6日は12度。昨年は、4月に入って、日中は14度になった。これほど上がったことは始めてであった。発芽が始まるのではないかとひややしたものだ。この時、なるほど、もち米の方が低温で発芽するのかと気付いた。それでも何とか、種まきの障害になるほどではなかった。昨年の失敗は種もみの乾かし方が少し足りなかった。あまり乾いてもまずかろうと言う事があったのだが、撒きやすい状態をもう少し考えておきたい。1キロの種籾で、3畝分と考えて余裕がある計算している。つまり100坪で1キロの種籾。欠ノ上田んぼ3反で10キロの種籾を用意する。所が、不安で、今年は15キロを使った。失敗しても取り返しがつくようにという気持ちである。あまった種もみは冷蔵庫に保存する。案外その方が良い発芽になる事もある。