山本太郎議員の無知の罪
山本太郎議員が園遊会において、天皇に手紙を直接渡した。非常識というか、反原発を目指す一人として許し難い行為である。天皇は今回の事故に関して、山本氏の手紙などなくとも、十二分の理解をされている。それは行動を通して分ることである。山本氏の超法規的なところから問題の解決をはかろうという手法は、暴力によって自分の意志を通そうという行為と、何ら変わりがない。日本は議会制民主主義の国であり、山本氏は選挙で選ばれた国会議員である。そういう自覚があるなら、先ず憲法を勉強してほしい。憲法には最初に、天皇の位置が明確に書かれている。第1章 天 皇 第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。意味するところは、日本人全体で、統合の象徴としての天皇の意味するところを、その深遠なる意味を深く理解し合い、大切にしようということだ。何かの意図に利用するというようなことは、あってはならないという意味である。
明治帝国憲法下の日本に置いて直訴した、田中正造氏の足尾鉱毒事件を思い出すが、その意味するところとは全く違う。明治憲法下に置いては、天皇は天皇大権と呼ばれる広範な権限を有し、立法権を有するのは天皇であった。こうした権力者としての天皇に対して、議員が直訴せざる得ないということは、当時の明治政府の時代であれば、ないとは言えない。天皇の存在を軍部が帝国主義の推進のために利用して、第二次世界大戦の敗戦に至ったのだ。しかし、現行憲法下天皇の立場は、極めて象徴という微妙な立場である。国民が全体で、その意味を育んで行かない限り、日本国の象徴という天皇はあり得ないことになる。この暗黙の重要なルールを国会議員たる山本太郎氏は、始めて破ってしまった人間となった。知らなかったとか、違法ではないとか、あるのだと思う。あるとしても最悪のルール破りである。
そもそもこの人の反原発には同調できなかった。原発に対して反対するという意味では同じ気持ちだ。しかし、その内容になると、科学的ではない判断が目立つ。私はそういう人と同じ立場での、反原発でありたくないと考えてきた。そのために、笹村の存在が小田原の反原発運動の障害になっていると、このブログのコメントでも言われた。内部放射能リスクを強調する人たちの中には、自然放射能も危険であるから、カリウム肥料を使うべきでないというような意見すらある。山本氏が選挙運動をしていた時の、山本氏の反原発の理由をきいていると、非科学的な側面が目立った。そういうエキセントリックな物言いは、一時は注目を集めるが、長い時間の間には信頼を失うと思えた。今回の行動はまさに、反原発運動の共感を失いかねない。本人は天皇に対して、直接手紙を渡すことが、天皇の政治利用にあたらないとするとしている。もしそれが本心であるなら、何の為に手紙を渡したのか不自然であろう。天皇が福島原発事故に心を痛めていることが分からないのだろうか。頭が悪い為に、理解力が足りないのか。たぶんとぼけているのだろう。
では議員辞職するべきかと言えば、する必要はない。きちっと国民に対して、自分の行為の問題だった点の謝罪を行う。このようなことを2度と行わないとすることが大切である。国民の代議員としての立場は重いものだから、愚かであるとか、ルールを逸脱しているとかいうだけで、辞めることはできない。今回の過ちを、徹底的に反省して今後の議員活動の中で、生かしてほしい。しかし、この人の記者会見の全文を読んでみると、到底そのレベルではない。反原発のどれほどの気持ちで多くの都民が、山本氏に一票を投じたのかを理解していない。全く独りよがりの発想である。自民党が再稼働を進める状況の中で、自分の立場がどのようなものであるかを理解できないようだ。このような人が、反原発の一翼を担っているとすれば、到底この運動は成功しないだろう。議員辞職はしないでいいが、反原発運動からは出て行ってもらいたい。